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2018年 7月 17日


むちゃくちゃ暑い日が続いていますね。
暑いだけではなくて、湿度が高いのにはまいります。
大工集団 欅から見える山々はかすんで見えます。
それほど湿度が高いのです。
「熱射病に注意」と言われていますが、ほんとに注意してください。


さて、最近は夜な夜なLPレコードをデジタル録音しています。
あまり整理されていないレコード棚から適当に摘み出して来て、ターンテーブルに乗せて録音しています。

『ああ、そうだった、昔こんなレコードも聴いていた』
『このLPは○○○した時に買った物だった』
と、懐かしいレコードが出てきます。

今夜はビリー・ホリデイを録音しようと思います。
実は今日はビリー・ホリディの命日なのです。


今ではボーカルは聴かなくなってしまいましたが、若かりし頃には聴いていたのです。
今日は少しビリー・ホリデイを書いてみます。

不世出の女性ジャズ・シンガーと呼ばれているのがビリー・ホリデイ(Billie Holiday, 1915年4月7日 - 1959年7月17日)です。
黒人ゆえの悲惨な生い立ちも手伝い、彼女は悲劇の人生を歩んだといわれています。
それゆえホリデイの歌には常に暗い影がつきまとい、たとえ明るい歌でも彼女が歌えばブルージーな響きに満ちたものとなるのでしょうね。
しかしこの個性によって、ジャズ・ヴォーカル界を代表する大シンガーのひとりとなったのです。

1915年4月15日、メリーランド州ボルティモアで生まれたホリデイは、自伝によれば15歳の父と13歳の母の間に生まれたとされている。
小さなときから歌が好きだった少女は、ルイ・アームストロングやベッシー・スミスのレコードを聴いてジャズ・ヴォーカルに開眼したそうです。
しかし11歳で強姦されるという体験をした彼女は、14歳でハーレムの娼家に身を落とし、その結果、売春罪で投獄されてしまう。
出所後はセミ・プロのような形で歌をうたい始め、1930年の暮れにニューヨークのクラブ「ログ・キャビン」のオーディションに合格して本格的にプロの道を歩き始める。

ここまでのことをもう少し詳しく紹介すれば、こういうことになります。
ホリデイは無力な母サディ・ハリスのせいでボルティモアに住む家族や友人のところに預けられ、祖母と呼ばれるマーサ・ミラーおよび同居人のジェニー・コンウェイによって育てられています。

母サディは1920年にフィリップ・ゴウと結婚し、ホリデイは彼らと一緒に生活するようになった。
しかしこの再婚が破局を迎えるや、彼女は学校に行かなくなり、その結果1925年1月に少年裁判所で、1年間キリスト教の施設に収容という判決を受けている。

母親が引受人となって出所したホリデイは、引き続き学校にはときたましか行かない生活に戻ってしまう。
そして1926年のクリスマス・イヴの日、彼女はウィルバート・リッチにレイプされたのだった。
彼は1927年1月に裁判を受け、「11歳の少女をレイプした」罪で有罪判決を下されている。
驚くのは懲役刑がたったの3カ月だったことだ。
そのうえ、ホリデイがのちになって主張しているように、彼女はレイプされたその日に施設に送り返されてしまったのである。

ホリデイがジャズに興味を持ち始めたのは1928年のことだったそうです。
家政婦として働き始めた「小さな売春宿」で、ルイ・アームストロングのレコード「ウエスト・エンド・ブルース」を聴いたのがきっかけでした。
そしてその年の終わりに母サディは新しい生活を求めてハーレムに引っ越し、ホリデイも数カ月後に彼女を追ってニューヨークにやって来ました。

サディは140丁目のレノックス・アヴェニューと7番街の間に住んでいた。
アパートの家主フローレンス・ウィリアムスは売春宿のオーナーでもあった。
そこで生活のためにサディは売春婦となる。
その数日後には娘ホリデイも同じ仕事に就いたのでした。
ホリデイはボルティモア時代から売春に手を染めていたと思われる。
確かな事実は、この時点で彼女が14歳だったことです。
暗い過去である。
その過去を背負ったホリデイの歌は、だからこその説得力に溢れていた。

ところでホリデイは“レディ”と呼ばれることが多い。
名字のホリデイ(本名はエリノラ・フェイガン)と合わせて“レディ・デイ”と呼ばれることもある。
それは、クラブで歌ってチップをもらう際に、彼女が淑女然とした態度で受け取ったことからつけられたニック・ネームだそうです。
そのホリデイに大きなチャンスが巡ってくるのは1933年に「モネット」で歌っていたときのことでした。
著名なジャズ批評家のジョン・ハモンドが彼女の歌を聴いて感銘を受け、彼の推薦で“スイング王”ことベニー・グッドマンのレコーディングに推薦されたのです。

次いでホリデイは1935年から39年にかけて行われた史上名高いテディ・ウィルソンのブランズウィック・セッションに参加する。
これもハモンドの推薦によるものだった。
数々の大物ミュージシャンと共演した彼女は、このレコーディングによってジャズ界を代表するシンガーのひとりと目されるようになる。
またこの時期とほぼ一致する1936年から42年にかけてはホリデイ名義でヴォキャリオンにオールスター・メンバーをバックに吹き込みを行ない、こちらも大評判を獲得している。

ジャズ・ヴォーカルのスターとなったホリデイが次に契約したのはメジャー・レーベルのデッカでした。
ここでは1944年から50年まで録音を残している。
この時代が彼女にとっては絶頂期だった。
このときの吹き込みを聴けば、いかにホリデイが類い稀な才能を持ったシンガーであるかがわかるはずだ。

こうしてスターになったホリデイだが、少女時代から始めていた麻薬の悪癖とアルコール依存を断ち切ることはできなかった。
その影響で感情の起伏が激しくなり、それを紛らわすためにますます悪癖にのめり込んでいく。
その結果、歌への意欲はひと一倍あったものの、声の衰えが急速に進み、思うように歌えないとジレンマに陥る。
こうした悲惨な状況の中で、ホリデイは1959年7月17日に肝硬変の悪化から昏睡状態に陥り、生涯の幕を閉じています。

彼女の才能と感情表現が最も際立っていると言われるアルバム、『Twelve of Her Greatest Interpretations』、彼女の代表曲『Strange Fruit(邦題:奇妙な果実)』が収録されている『Lady Sings the Blues』・・・、数ある彼女のアルバムの中で一枚だけご紹介すると『Lady in Satin』でしょうかね。


『Lady in Satin』は不世出のジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイがこの世を去る前年に吹き込んだ作品です。
声の衰えは隠しようがない。
高音は伸びが悪いし、音程は不安定。
それでも彼女の歌は胸に強く迫る。
ジャズ・ヴォーカルがテクニックだけの歌でないことをこの作品は教えてくれる。

歌いたい気持ちと、その歌の世界を伝えることができる表現力。
このときのホリデイは誰よりもこれらふたつで勝っていた。
一般的な基準にあてはめるなら、この作品より優れた内容のものも少なくない。しかし感動を覚える点で、ホリデイが残した諸作でこれを超えるものはひとつとしてない。

彼女が歌う曲はどんなものでも翳りを帯びたブルージーな内容になる。
悲しい生い立ちをヴォーカルに反映させていたからかもしれない。
しかしそれは暗いだけの歌とは違う。
そこには、最後に必ず明るい未来への期待が込められていた。
このアルバムも例外でない。




2018年 7月 14日


喫茶 大工集団 欅は喫茶店です。
当たり前のことを書いて申し訳ありません。
今、喫茶店やレストランで問題になっている物があります。
そりは、ストローです。


環境保護に対する意識の高まりを受け、プラスチック製ストローを廃止する動きが海外で広がっているのです。
米McDonald'sは、9月から英国とアイルランドの計1361店舗でストローを紙製に切り替えるほか、米Starbucksも、2020年までに全世界でプラ製ストローを廃止し、ストローが無くても飲めるふたを導入する計画だそうです。
でも、そのふたもプラ製なのですがね。

そんな海外の動きを受け、日本マクドナルドもストローの切り替えを検討すると発表しました。
スターバックスコーヒージャパンは、20年までにプラ製ストローを廃止する方針をすでに固めてい戸のこと。

こうした動きは今後さらに加速し、プラ製ストローは国内の飲食店からいつか消えてしまうのでしょうか。
でも、プラ製ストローは日本ではなくならないと言われています。
プラ製ストローの廃止を始めたのは一部の外資系企業だけで、国内でプラ製ストローの廃止が進まない最大の理由は代替品として期待されている紙製ストローに多くの課題があるためだそうです。

紙製ストローの課題とは、
(1)コストの高さ
(2)耐久性の低さ
(3)粉の出やすさ
の3点です。

紙製ストローは、製造コストがプラ製の4~10倍かかるため、比例して価格も高く、導入企業の原価を圧迫するでしょう。
強度にも問題があり、10分間水分に浸しておくとふやけ、飲んでいる最中に飲料が外に飛び出す危険性もあります。
さらに、トイレットペーパーの芯などと同様、原紙を巻いて製造している特性上、紙の粉なども生じやすく、粉が中身に溶け出してしまいます。

ストローの製造メーカーでは、今後は外資系企業を中心に、いったん紙製ストローに切り替えたものの、問題が生じてプラ製ストローに戻す企業が出てくる可能性もあるとしています。

また、欧米と日本ではストローの処理方法が異なることも、国内でプラ製ストローがなくならない要因なのです。
欧米ではストローを処理する際に埋め立てる国が多いそうですが、日本では焼却炉の整備が進んでおり、大半が焼却処理されています。
そのため、海辺に大量に埋められて海洋汚染につながるケースは比較的少ないという。

しかし、飲食店が分別せず、残飯などの燃えるごみに混ぜてプラ製ストローを廃棄してしまうと海洋汚染となります。
ストローをプラ製から紙製に切り替えるコストよりも、ごみの分別に要する人件費などの方が安いはずです。
ですから、飲食店は分別を推進してほしい。
焼やされるストローを減らすことこそが、二酸化炭素の排出量削減などにつながるのです。

前述の通り、紙製ストローの利用でさまざまな問題が起きれば、飲食事業者のイメージダウンは避けられません。
導入を検討するお店は、こうしたリスクを知っておく必要があります。

国内の飲食事業者は今後、どんな対応を取るのだろうか。
海外の流れに乗るのか、リサイクルに注力するのか、大きな変化はないのか。

喫茶 大工集団 欅では紙ストローによってお客様にご迷惑をかけるくらいなら、面倒でも分別廃棄をしてプラ製ストローを今後も使ってゆくつもりです。




2018年 7月 13日


やられたー!!!
ちくしょー!!!

昨日は家内と朝から外出していました。
夜、家に戻ると・・・。
南の勝手口にタマネギの皮が散乱しています。
あ~ぁ、猿です。
日中に猿が来て勝手口においてあったタマネギとジャガイモを全て食べてありました。


後片付けがが大変です。
あいつらは皮や縛ってあった紐を巻き散らかしてゆくので、一つずつひらわなければなりません。
食事の後かたづけくらいしてゆけよ!

そして今朝。店に来ると・・・。
デッキの床が・・・。
タマネギの皮が散乱していました。
またー!
ええ、片づけましたよ。
猿のために何でこんなことをしなければならないのか。

猿やイノシシの被害は、彼らの生息地の広がりとともに拡大してゆくばかりです。
これからどうなるのでしょう。
ここだけではなく、日本の至る所で獣の被害が出ています。
このままでよいはずがないのですが、行政は何か考えているのでしょうか。

私がこの吉野に引っ越してきた二十数年前にはイノシシは白山の福井側にしか居ないと言われていました。
猿は中宮で餌付けされており、ここには居ませんでした。
それが今では・・・。
イノシシは奥能登にまで出るようになり、猿も金沢の南部にまで生息するようになりました。

このままでよいのでしょうか。





2018年 7月 11日


昨日、オーディオファミリーの西本が友人を連れて来店し、10月21日に坂田明・スガダイローその他でコンサートを松任の聖興寺で開くとポスターを持ってきました。


チケットは1ドリンク付きで3,000円です。
お申し込みは喫茶大工集団欅までお電話ください。
 電話 076-255-5878

このコンサートの主催は『NPO法人 白山ヌーベルバーグ(申請中)』という団体です。
白山ヌーベルバーグの趣旨は『白山市をもっと活気のある楽しい都市にしょう』というものです。
私はこの趣旨に賛同し、設立委員に参加しました。
この様なコンサートだけではなく、これからいろんな企画をしてゆきたいと思います。
お楽しみに。




2018年 7月 8日


ようやく雨が上がって、大工集団 欅のヤギたちはパドックから出て裏山で草を食べています。
お客様からよく「ヤギは雨の日はどうしているの?」と聞かれます。
ヤギは雨が大嫌いで、雨の日はヤギ小屋か、その横にある屋根のかかっているパドック(遊び場所)にいて、その日の朝に刈ってきた草を食べています。
そうなんですよ、雨が降ると私は早起きして草刈りをしなければならないのです。

さて、昨夜はハービー・ハンコック(Herbie Hancock)の『Herbie Hancock Trio'77』を聴きました。
するとどうしてもロン・カーター(Ron Carter)の『Third Plane』を聴きたくなります。


Herbie Hancock Trio'77

Ron Carter Third Plane

上記の2枚はハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムス(ドラムス)という同じメンバーで録音されました。
録音日は1977年9月21日で同じ。
録音したスタジオも同じです。
というわけで双子の2枚のアルバムなのです。

でも、違いがあります。
ハンコックの方『トリオ'77』は「ハンコック初のピアノ・トリオ・アルバム」ということもあってよく知られている一方、カーターの『サード・プレイン』方は知名度が低いのです。
『サード・プレイン』にはハンコックの代表作「ドルフィン・ダンス」やスタンダード「ステラ・バイ・スターライト」の人気曲もちゃんと入っているのですが・・・。
こう書くとロン・カーターには皮肉になりますね。

いずれにせよ、60年代マイルス・デイヴィス・クインテットを支えた最強のリズム・セクションだけあって、いずれもすばらしく緊密なトリオ演奏を聴かせてくれます。




2018年 7月 7日


今日は7月7日、七夕です。


喫茶大工集団 欅の七夕飾り

今年の七夕は、西日本に降る記録的豪雨で七夕どころではありませんね。

古来、七夕と雨は浅からぬ縁で結ばれていたようです。
牽牛と織り姫を詠んだ中国の古詩に「泣涕零如雨」の一節があります。
一途に相手を思う織り姫が雨のような涙を流している、というのです。

牽牛も女心を察してか、七夕前日の6日は逢瀬に使う牛車を丹念に洗ったという。
7月6日あるいは七夕の雨は牛車から飛び散るしぶきとされ、「洗車雨(せんしゃう)」と呼ぶそうです(『雨のことば辞典』倉嶋厚、原田稔編著)。

雨と涙の関係は詩情的な言葉も育んできましたね。
恋にまつわる涙を「袖の雨」「袖時雨」といいますよね。
悲嘆の折に降り注ぐ雨を「涙雨」と呼びます。
これらの言葉を口にするとき、土砂降りの雨を思い浮かべる人はいないでしょう。

今回の西日本に降り続いた大雨は、天の川をはさんだ慕情だけでなく、昨日までの人の営みも、家族や友人らとの分かちがたい結びつきも断ち切ってしまった。

気象レーダーの映し出す長大な雨雲の下には、氾濫した河川に漬かる街があり、土砂に埋まる家屋があります。
連絡のつかない家族らを案じ、不安を募らせる人も多いでしょう。
拭いきれない涙が被災地で流されたことを思うと・・・。





2018年 7月 5日


雨が降り続いていますね。
昨日は大工集団 欅の定休日で、朝から出かけていました。
午後になって友人の何人かからスマホに電話があり、この様な内容でした。
「出かけてる場合じゃないぞ。お前の住んでる吉野に避難注意報が出てる」
というものでした。
『そりゃー大変だ』とは思ったのですが、用事が残っており・・・。
おっとり刀で夕方に帰ってみると、心配した山裾の川の氾濫もなく、ホッとしました。

夜のテレビのニュースを見ると、西日本の雨は記録的豪雨だそうで、被害が多く出ています。
雨は七夕の7日まで降り続くそうですから、皆さんもご注意ください。




2018年 7月 4日


『こんな人が日本の首相だったのか』と思われることはありませんか。
鳩山由紀夫さん、菅直人さんは言うに及ばず、福田康夫さんや小泉純一郎さんにも首をかしげます。

福田康夫さんは6月24日に(中国江蘇省の)南京大虐殺記念館を訪問されました。
『今更何故?』と思った人も多いでしょう。
ところが福田さんは昨日、恥の上塗りをしました。
「展示内容の修正を評価する」「鳩山元首相のときとは展示物違う」と言い訳のコメントを発表したのです。
そのコメントの全文を読むと『この人は日本人ではなくて、中国人なのでは?』と思ってしまう内容でした。
こんな人に日本の舵取りを任せていたのかとし思うと・・・。

小泉純一郎さんもおかしい。
この人は今、反原発の先頭に立っています。

原発は本当に悪なのでしょうか。
「日本は単純計算で太陽光だけで原発27基分を出しており、原発ゼロでも自然エネルギーだけで十分にやっていける」という小泉さんの主張は壮大な間違いであると指摘したい。
小泉さんの主張は、日本の太陽光発電は平成26年度末で2688万キロワット、1基100万キロワットの原発に置きかえれば約27基分との計算から生まれたものだそうです。
同じ論法で計算すれば28年度末での太陽光発電は原発43基分にもなります。

しかし、それはkW(キロワット)の数字なのです。
つまり、性能上の発電能力の数字だけを見たもので、実際に発電した時間を乗じたkWh(キロワットアワー)の数字を見なければ実態はわかりません。
kWで示された性能上の能力は晴天時の瞬間的な出力を示します。
太陽が強く輝くのは1日の内6時間、24時間の25%です。
しかし雨の日、曇りの日、雪の日、台風の日もあり、25%の半分、13%ほどの時間しか発電できないのが現状なのです。
実際の太陽光発電の稼働率は13%前後にとどまるのです。
反原発ならば残りは火力発電に頼るしかない。

今年2月の豪雪時、首都圏は大停電の一歩手前までいったそうです。
大停電になれば数時間で病院の非常用電源がとまり、生命維持装置、手術室、保育器も機能を停止し、命にかかわる事故が多発していた危険性があったのです。
再生エネルギーだけで十分という小泉さんの主張に忠実に従ってエネルギー政策を構築する場合、多くの人命が失われる大停電が避けられないでしょうね。
稼働率13%ほどの太陽光発電の場合、残り90%弱をどう補うのかが切実な問題なのです。

東日本大震災のあと、日本は石炭・ガス・石油などの化石燃料への依存を急速に高め、化石燃料のエネルギー全体に占める比率は世界で最も高い84%に達しています。
国際非難を浴びながら二酸化炭素(CO2)削減など全く置き去りにして、ようやくしのいでいるのが現状なのです。
こうした事情を小泉さんは理解していない。
影響力の大きい元首相の反科学的で間違った言説は、無責任の極みです。

人口減少に直面する資源小国日本はあらゆる面で賢くなり、実力を出し切れる国に成長しなければならない。
それは科学立国の道しかないではありませんか。

6月14日、東京電力ホールディングスの小早川社長が福島第2原発(F2)の全4基廃炉の検討に入ると表明しました。
内堀福島県知事は「全基廃炉は県民の強い思い」と強調し、「朝日新聞」は東電の決定は遅かったと批判した。
すでに廃炉作業が始まっている福島第1原発(F1)の悲劇を考えれば多くの県民も同様に考えるのは自然でしょう。

しかし、本当にそれで良いのでしょうか。
冷静にF2について考えてほしい。
4基の原子炉を擁するF2は1000年に1度の大地震と大津波を生き残った立派な原発です。
津波で全ての非常用炉心冷却系が使用不能になった危機の中、所長の増田尚宏氏、技術責任者の川村慎一氏以下所員、下請け会社の職員400人が力を合わせました。
余震の続く中、闇の中で200人が肩に食い込む重いケーブルを9キロにわたって敷設した。
水没した海水ポンプモーターの代替機を東芝の三重工場から自衛隊機で運び、柏崎原発からも陸送し、交換した。
F2はこうして生き残った。
その見事な事故収束対応は、米国の原発事故対応行動に模範的対応として明記され、世界で絶賛されました。
にもかかわらずF2は廃炉になるのです。

東日本大震災後、報道がF1の悲劇に集中したのは当然ですが、何年過ぎても日本のメディアはF2の成功を報じません。
ここにもマスコミの問題があります。
マスコミは『報道しない自由』を言いますが、それによって国民は間違った判断をしてしまうのです。

想像をはるかに超える大災害の中で、原発を制御した成功事例を日本人は大切にしない。
成功に学ばず、失敗に屈服しているだけです。
それでは前進はない。

内堀福島県知事は風評被害を強調します。
確かに福島には異様な光景があります。
約1千基の汚染水タンクもそのひとつです。
増え続ける汚染水のため、東電は山を削り、タンクを設置し続けています。

でも、実は汚染水処理の方式は世界で確立されているのです。
日本は何故、その確立されている汚染水処理の方式を実行しないのでしょうか。
セシウムなどの放射性物質を取り除くと、トリチウムだけが残ります。
天然に存在するトリチウムは外部被曝がほとんどなく、水と同じ性質であるため、生体内にも濃縮されない。
そのため、トリチウムを十分に薄めて海に流すことが認められているのです。
全世界の原発で、海洋にいまこの瞬間にも放出している。

原発企業に非科学的な要求をする原子力規制委員会でさえ、希釈して海に放出するのが適切だと指摘しているではありませんか。
それでも、東電は放出しない。
地元の漁業協同組合などが風評被害を恐れ、拒むからです。

かくしてタンクは増え続ける。
一面に広がるタンクの群れは、福島の汚染を印象づけ、それこそ風評被害の土壌となっている。
漁協をはじめ関係者全員が、もっと科学の視点を持つことでより良い選択が可能になるのに・・・。

小泉さん、小沢一郎さん、朝日新聞などは反原発で団結するが、大事なことはイデオロギーや政局ではありません。
科学の視点で考えることなのです。
国家の基盤をなすエネルギー政策を科学の視点で構築できるか否か、このまま国力を失うか否かの岐路に、今わが国は立っています。

政治家に科学者の知識はありません。
原発には科学者の知識が必要なのです。
科学者から方法を学びましょう。

先月の新潟県知事選挙では小泉さんは共産党も支持する候補にエールを送った。
7月15日には自由党の小沢一郎代表が塾長を務める政治塾での講演を、自ら買って出たそうです。
全てに反原発ファーストである小泉さん。
この様な節操のない人に科学者の知識は耳に念仏なのでしょうね。





2018年 7月 3日


今日は現在のチェコ出身のドイツ語作家フランツ・カフカ(Franz Kafka,)の誕生日です。

私はフランツ・カフカという作家には奇妙な関心があります。


(写真はWikipediaより)

カフカのプロフィル
1883年7月3日生まれ、1924年6月3日没。
オーストリア=ハンガリー帝国領当時のプラハで、ユダヤ人の家庭に生まれる。
プラハ大学で哲学や法学を学び、卒業後は40歳で病没するまで「労働災害保険協会」に勤めながら、創作活動を続けた。
生前は『変身』など数冊が刊行されただけだが、死後、友人のマックス・ブロートによって未完の長編『審判』『城』『アメリカ』などの遺稿が発表されると世界的な再評価を受け、実存主義文学の旗手と称された。

私がカフカに関心がある理由は、生前には『変身』など数冊が刊行されただなのに、死後になってから友人のマックス・ブロートによって未完の長編『審判』『城』『アメリカ』などの遺稿が発表されると世界的な再評価を受け、実存主義文学の旗手と称されているからなのでしょうが・・・。
しかもその長編の3編はいずれも未完なのです。
なのに、人々に読まれているのは何故なのでしょう。

カフカ自身は自分の死後、原稿はすべて焼き捨てるようにとの遺言を友人のマックス・ブロートに託していました。
ところが、世界の損失ともいえるそんな遺言が実行されることはありませんでした。
私たちがいまカフカの作品を読めるのも、ブロートのこの偉大なる裏切りのおかげなのです。
ただ、編集の大半も彼が手がけた結果、いわゆる“ブロート問題”と呼ばれるものが起こりました。
これはブロートの視点で微妙な取捨選択を含めたアレンジがなされたというものです。
ブロートは敬虔なユダヤ教徒でしたから「神の恩寵による救済」という絶対的な思想でカフカの世界をとらえたわけですね。

『城』はきわめて神秘的な物語です。
城がそびえている雪深い村にさまよい込む「K」という男が主人公です。
彼は宿に泊めてもらうため、城から任命された測量士だとでまかせを言いますが、宿の方は怪しいとにらみ、城に確認を取ると「その通り、城が頼んだ測量士だ」と、本人でさえ思いもしなかった回答が返ってきたのです。
こうして、彼は一方的に与えられた“現実”を生きていかなければならなくなるわけです。
現代ならさしずめ、パスポートも持たずに未知の国に迷い込んだようなものかもしれませんね。
そんな状況のなかでも、Kは今度は城の当局の人間に会おうと自ら望んで城に戦いを挑もうとします。

つまり、彼は攻撃者だったのだ。
しかも、彼だけが自分のために戦っていただけではなく、あきらかに彼以外のいろいろな力も、彼の戦いを助けてくれたのだった。

Kが伯爵府のある役所と交渉するため、城に出向いていく決意が語られる印象的な場面の一節。
ところが、つねに城の尖塔を遠巻きに眺めながらも、どこまで行っても目的地に到達できない。
際限なく絶望的なこの状況はまさに、“人間的葛藤の迷路”といっても過言ではありません。

ところで、未完に終わったこの作品の最終章はどんなものだったのか。
私が持っている昭和28年発行のいわゆる“ブロート版”(新潮社)には、彼が生前のカフカから語り聞いた構想としてこんな断章が収録されています。
それによると、Kは最後の場面では戦いに疲れ果て、すでに死の床に横たわっている。
そこに城からの使者が現れ、ついに村に住む許可が与えられるというものでした。
まさに「神の恩寵による救済」です。
これがブロートの解釈なのですが、一方で実存主義の立場から、Kは最後まで神を受け入れなかったという「無神論」の姿勢を支持する評者もいます。

いずれにせよ、城は巨大な権力であり、不条理の象徴として描かれます。
その典型が「クラム」という上級役人の存在でしょう。
彼は恐るべき官僚として町で取り交わされる噂話にも頻繁に登場し、若い女たちもみな人身御供のようになっていますが、不思議なことに彼の姿を見た人間はほとんどいない。
このため、住民の意識のなかでクラムの幻想だけが怪物のように増殖し、実際、このような会話が取り交わされます。

クラムは、村にやってくるときと村から出ていくときとでは、まるでちがって見えるそうです。
ビールを飲むまえと飲んでからとではちがうし、(中略)お城にいるときは、がらりと別人のように見えるということです。

面白いですね。
でも、じつはこうしたことはカフカが生きた19世紀のプラハならずとも、現代社会にも十分あてはまります。
たとえば私たちは“国家システム”を漠然と理解した気になっていますが、よく考えてみれば、そんなものはどこにも存在しない。
新政権の発足時には「脱官僚」という言葉を耳にしない日はありませんね。
でも「官僚」というものを、私たちはいったいどこで目にしているのでしょう。
霞が関ですか。
いや、霞が関そのものが抽象的な存在なのかもしれません。

極めて幻想的な物語ですが、一方で服装や部屋の内装にいたるまで日常の細部が徹底的に描かれるため、読む側はその裂け目で奇妙な緊張感を強いられることになります。
現代の神話というにふさわしい作品です。




2018年 7月 2日


昨日は氷室でしたね。

氷室には石川県では氷室饅頭を食べます。
毎年7月1日の初夏に食べられる縁起物の菓子です。

毎年、氷室饅頭を送ってくれる友人がいます。
昨日も宅急便で届きました。
実をいうと、氷室を忘れていました。


この氷室饅頭を見て『ああ、氷室か。今年も半分終わったなー。』と気づきました。

氷室といえば夏の行事ですが、暦の上の夏は立夏から立秋の前日までで、今年は5月5日から8月7日になります。

でも、気象庁の夏は違うのです。
気象庁の気候学上の夏は6・7・8月です。
これが一番わかりやすい。

では旧暦の夏はどうだったでしょうか。
旧暦の4・5・6月、つまり、卯月(うづき)・皐月(さつき)・水無月(みなづき)が夏でした。
現代の日付にすると、今年は5月15日から8月10日になります。

私の夏の感覚は『梅雨明けからお盆の8月15日まで』ですね。





2018年 7月 1日


今日から7月ですね。
2018年はもう半分過ぎてしまいました。
つい先日お雑煮を食べていたように思うのですが・・・。

関東では6月なのに梅雨明け宣言がありましたが、北陸は未だのようです。
今日も暑いですね。
お客様によれば、大工集団 欅の国道157号線に設置してある温度計が36℃だったそうです。
聞かなければ良かった、36℃と聞いただけで気力が失せました。

梅雨明けは未だですが、今日から7月です。
喫茶大工集団 欅では今日からボサノヴァ(ボッサ・ノヴァ)をかけています。
暑い夏にボサノヴァは合っているのではないでしょうか。


ボサノヴァのきっかけは1958年にアントニオ・カルロス・ジョビン作曲、ヴィニシウス・ジ・モラエス作詞、ジョアン・ジルベルト歌・ギターによる“Chega de Saudade”(邦題:想いあふれて)のシングルレコードによってでした。
ただしこの時点ではボサノヴァという呼び名はまだ生まれていなかったそうです。

喫茶大工集団 欅でボサノヴァを流していると「コレもジャズなんですか?」と聞かれました。
イエイエ、ジャズではありません。
そもそもボサノバはジャズなのか?と疑問を持たれるのは、多くのジャズミュージシャンがボサノバの代表曲である「イパネマの娘」「コルコヴァード」などを演奏しているからでしょう。
例えばオスカー・ピーターソンの代表的なアルバム「プリーズ・リクエスト」にはこの2曲が収録されています。
日本ではジャムセッションのスタンダードナンバーとしてボサノヴァの曲が定着している関係で、ジャズだと思われている方も多いようですが、ボサノヴァはブラジルのサンバの一種というのが正解です。
ジャズはアメリカで生まれ、ボサノヴァはブラジルで生まれたわけで、出生が違いますから、ボサノヴァはジャズではないと言い切れます。

大工集団 欅のNASに入っているボサノヴァのアルバムを数えてみたら107枚ありました。

ボサノヴァの曲の中でスタンダードとなっている曲を以下にご紹介しましょう。
 イパネマの娘 (Garota de Ipanema)
 リカード・ボサノヴァ (Recado)
 カーニバルの朝 (Manhã de Carnaval)
 マシュ・ケ・ナダ (Mas que Nada)
 おいしい水 (Água de beber)
 サンバ・ヂ・ウマ・ノタ・ソ / ワン・ノート・サンバ (Samba de Uma Nota Só)
 想いあふれて (Chega de Saudade)
 ア・フェリシダーヂ (A Felicidade)
 メディテーション (Meditação)
 デサフィナード (Desafinado)
 ウェーブ (Wave)
 ジンジ (Dindi)

ボサノヴァのミュージシャン、歌手をご紹介します。
まずブラジル出身者では
 アントニオ・カルロス・ジョビン (Antônio Carlos Jobim)
 ナラ・レオン (Nara Leão)
 アグスティン・ペレイラ (Agustin Pereyra)
 ボグダン (Bogdan Plech)
 ヴィニシウス・ヂ・モライス (Vinicius de Moraes)
 カルロス・リラ (Carlos Lyra)
 ジョアン・ジルベルト (João Gilberto)
 ジョアン・ドナート (João Donato)
1966年に発表した「Sergio Mendes & Brasil '66」とその中に収められた「Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ」で日本でも人気の、
 セルジオ・メンデス (Sérgio Mendes)
彼は、2016年3月にあった福島復興支援コンサートにも来日してくれましたね。

ジャズマンでは
 ハービー・マン(Herbie Mann)がまず浮かびます
 スタン・ゲッツ(Stan Getz)
 クインシー・ジョーンズ
 ハービー・マン (Herbie Mann)
 キャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley)
ジャズマンではありませんが、日本のオリコン洋楽シングルチャートで1976年に8週連続1位を獲得した「恋は盲目」を歌った
 ジャニス・イアン(Janis Ian)
この曲はTBSのドラマ『グッドバイ・ママ』に使われたこともあって、皆さんご存じですよね(50歳以上の方には)。

日本でボサノヴァと言えば
 長谷川きよし
 丸山圭子
 大橋純子
 小野リサ
でしょうかね。

喫茶大工集団 欅にボサノヴァを聴きにご来店ください。






長い間ご無沙汰いたしました。

2018年 6月 30日


長い間ご無沙汰いたしておりました。
書きたいことは日々多くあったのですが、とにかく忙しかったのです。
4月に『洋菓子 Keyaki』の建物が完成し、すぐに松任にできた『道の駅 めぐみ白山』に出荷が始まりました。
それ以来、家内と二人で寝る間もなく働いていました。
いやいや、本当なのです。
夜中の3時まで働いていたのですから。

ここに来てようやく少し時間ができるようになりました。

書きたいことは本当に多くあったのですが・・・。
例えば『洋菓子 Keyaki』のオープンのこと、『道の駅 めぐみ白山』に出荷し始めたこと。
子ヤギの成長したこと、HAB北陸朝日放送が大工集団 欅を取材してくれたこと、etc.etc.
3ヶ月もお休みしていたのですからね。

その間には何人ものお客様から「ずーっとお休みしていますね」と言われました。
申し訳ありませんでした。

久々に書くので話題を何にしようかと迷ったのですが、やはり以前のことを書いてもおもしろくないので昨夜のことを書きます。

昨夜来客があり、家内が庭に出たところ蛍が飛んでいると窓越しに私を呼んだのです。
庭に出てみると、あっちにも、こっちにも蛍が飛んでいました。
そこで一句つくりました。

   庭よりの妻の声する蛍見ゆ

   蛍飛ぶ庭ある家に夜を待つ

家内と良いところに住んでいるねと話しています。

昔、知り合いのお爺ちゃんが私に言ったことを思い浮かべました。
「人は、住むところを愛し、仕事を愛し、妻(夫)を愛したら、幸せになる」というものでした。
ヒョッとして・・・、あの蛍の中にお爺ちゃんがいたのかも。

これからまた書き続けますのでよろしくお願いいたします。