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2018年 9月 16日


テレビの話題は大坂なおみさんで持ちっきりですね。
そりゃーぁ、そうですよね、テニスの4大大会で優勝したのですから。


写真は産経新聞より

毎日、彼女の話題をテレビで見ますが、その中で気になった記者会見がありました。
帰国直後の記者会見だったのですが、テニスに関する質問はほとんど無く、いかにもワイドショー向きの質問だらけでした。
その中でも・・・。

この記者会見のことを書くには事前の予備知識が必要です。
それは、ハフポストをご存知かということです。
ハフポストとは、アメリカのリベラル系オンラインメディアです。
「ハフポスト日本版」は朝日新聞社との合弁事業で行われており、執筆は朝日新聞が担当しています。

この記者会見で、ハフポストの浜田記者が大坂なおみさんにこの様な質問をしました。

ハフポストの浜田記者
「ハフィントンポストの浜田です。えーと、海外の報道などで、まあ、大阪さんの活躍ですとか、存在っていうのが古い日本人像を見直したり、まあ考え直すきっかけになっているという風な報道があるんですけど、ご自身のまあアイデンティティというのも含めて、この辺をどのように受け止めていらっしゃるか、お考え聞かせてください」

大坂なおみさん
「テニス(に関してですか)?」
とハフポストの浜田記者に確認すると・・・。

ハフポストの浜田記者
「テニスというよりも、まあいわゆる古い日本人像というものが、そのお、まあ、日本人の間に生まれた人が日本人だという古い価値観があると思うんですけど、大阪選手の活躍で大坂選手のバックグラウンドが紹介されるなかで、そういった価値観というのは少しまあ、変えよう、変わろうという動きが出てると思うんですけど・・・。」

大坂なおみさん
「I got a question? (私に質問したの?)」
ここで会場が爆笑!

大坂なおみさん
「自分のアイデンティティについて深く考えたことはない。自分は自分だ。」
と名答した。

司会
「はい、では最後の質問」

ハフポストの浜田記者
「もうひとつだけ」

司会
「いや、結構です」

この場面を見た時、さすがハフポストだと思った。
「あと一問だけ」と言われて質問したから残りは一問しかないのに、「もうひとつ」と要求して、司会者に「いや結構です」と拒否されたのは痛快だった。
そんなに大坂なおみさんに自分が思っているようなことを言わせたかったのでしょうね。

大坂なおみさんの立ち振る舞いは謙譲、相手へのおもいやりなどの「古きよき日本人」の姿を示したと思います。
ところが、朝日新聞系のハフポストの浜田記者が「日本人の間の生まれたのが日本人で、ハーフは日本人ではない」という彼が思っている日本人の古い価値観(?)を否定してもらいたくて質問したことは間違いない。

このハフポストの浜田記者はご存じないらしい。
日本にはハーフに対する差別意識など無いですよ。
むしろ芸能界では歓迎されているくらいです。
それなのに、偏向した自分が思っている日本人の価値観を、遠回しに大坂なおみさんに否定させようとしていたのが見え見えでした。
そんなに日本が嫌いなのでしょうか。
サスガ、ハフポストの・・・、いやいや朝日新聞の記者ですよね。





2018年 9月 3日


今日は『男の生き様』について書いてみようと思います。

『男の生き様』って、そんな大それたことではないのですが、「いざ鎌倉」というときに男の技量が分かると思うのです。


ところで、昔の極道者は、びっくりするような美人と交際していたそうです。
端から見れば『あんな美人がなぜ?』と思ってしまうのですが、彼らには彼らなりの論理があって、自分はヤクザ者でいつ死ぬともわからない、いわば「覚悟の人生」を歩んでいたわけです。
だから女性を口説くときも、明日がないと思う分、『いまを逃したらもう未来永劫その女性を口説くチャンスなどやってこない』そう思うから真剣だったのでしょうね。
本気で真剣だから、びっくりするような美人をも口説き落としたのでしょうね。

極道者が良いと言っているのではありませんよ。
ただ、勉強ばかりしてきたひ弱なエリートでは、そういういざというときの覚悟が定まらない。
だから美人も口説けない、のだそうです。

どんな男でも、長い人生の中には「いざ鎌倉」というときがあるでしょう。
その時にこそ、その男の生き様、本性が現れるのではないでしょうか。

男の生き様というのは、地位の上下や財力の大小だけではないでしょう。
いざというときに、どういう態度をとれるのか、これが肝心なのではないでしょうか。
そのことを、昔の人は「男になる」という言い方で表現していたのでしょうね。

ところで、欧米社会の公式パーティでは妻を同伴することが常識ですよね。
これは、どんな女性を妻にしているかで、その男が男として本気を出せる男かどうかをチェックしているのだと聞いたことがあります。
どこまで本当の話かは知りませんがね。

でも、欧米であれ、中東であれ、日本であれ、いざというときに本気を出せないような男では使い物になりません。
いざというときに本気になれる男かどうかを、社会人としての生活の中において常に周りからチェックされているというのも、それが上位の社会になればなるほど、あたりまえに行われているということは、『なるほど』と納得させられるものがあります。

友達でもそうですよね。
困ったときに離れてゆくのは友達ではなかったのです。

私には、「最近、何かあったのか?」と電話一本をくれる友達がいました。
その時、本当に幸せに感じました。





2018年 8月 31日


8月も今日で終わりなのですが、まだまだ暑いですね。
湿度が高くてムシムシするのにまいっています。

さて、今日の話題です。
歴史好きな私は、対馬の最後の殿様である宗武志伯爵が、同じく最後の朝鮮王朝の一人娘徳恵姫と結婚をしたことは、何かの本で読んだことがありました。

8月15日の敗戦日は、韓国に於いては日帝からの独立記念日として国家的行事が催される。
それに合わせて、毎年愛国心を煽る反日映画が上演されているが、今年は、この夫妻の結婚に題材を得た悲劇の物語に創作された映画「徳恵翁主」が、累積観客数500万人を既に記録し好調な興行を継続しているそうです。
てせもこの映画、ムチャクチャなんですよ。
『実録歴史映画』とのふれこみですが、嘘八百です。

この映画の中では、対馬の殿様であった日本男性と無理やりの政略結婚をさせられた反日の闘志でもあった徳恵姫は、周りの差別偏見、夫の暴力そして国恋しさに精神を病み、強制的に夫から十年もの間、精神病院に閉じ込められるのだそうです。
花よ蝶よと育てられた深窓のお姫様を、反日闘志として創り上げる彼らの厚かましさ。
何でも映画の始まりは、消息を絶った徳英姫を、ある韓国人が発見をし精神病院を訪れるシーンから始まると解説紹介されています。

ところが現実は全くの逆で、幼いころから精神異常の兆候はあり、朝鮮王朝の殿下に嫁いだ梨本宮方子王女(徳恵姫の義姉)の手記が残されています。
それでも宗伯爵は、妻となった徳恵姫を深くいたわり愛し続けたが、戦後すべての財産を失った伯爵には妻の医療費捻出も難儀となり、姫の実家からの要請もあり離縁せざるを得なかったのです。
北原白秋の門下でもあった宗氏は、別離の辛さと思慕の念を織り込んだ詩を多く残しています。

ところが、この真実を知らされていない韓国民衆は、トップスター演じる捏造された悲劇のヒロインに涙し、日本や宗氏の横暴に煽り立てられ、興業的に大成功となっています。
いろいろ読んでいる中で、韓国で女優業をし、今回この映画の中で姫を強制的に松本精神病院に入院をさせる看護婦役をしている日本女性がいることを知りました。
その女優が、日本記者とのインタビューで、チョイ役ながら有名俳優たちと共演出来た喜びを語るその記事の題名は、秋葉里枝「『徳恵翁主』を見て涙…日本人にも感じて欲しい」

この映画に出演した日本の女優は、インタビューの中でこう語っている。
「来年で韓国に住み始めて10年になりますが、韓国も日本も愛している1人として、この歴史をもっと多くの人に知ってもらい、理解してもらう、そんな内容になればと思いました。韓国人だけではなく、日本の人にも『徳恵翁主』を見て感じて欲しいと思っています。私が徳恵翁主を知らせたいと思いました」
この女優さん、出演する映画の台本をもらったときに少しは歴史を勉強すべきでしたね。

ずいぶん以前になりますが、「夫である宗伯爵が消された結婚式の写真が韓国で紹介された。」と、書かれたある記事が目につきました。
韓国人留学生に徳英姫の写真を見せると、その写真は見たことがあるとのことでした。
「では、この人の夫は?」と訊くと「あんな男のために徳英姫は不幸で悲劇的な人生だった。写真を見たことはないが、背が低く醜男で妻に暴力を振るった悪い日本人夫だった。」と言う。
次に二人一緒に写った結婚式の写真を見せると、伯爵の美男子ぶりに「アイゴー、これはいったい何なの?」と、ビックリ仰天。


宗伯爵と徳恵姫の結婚時の写真
宗伯爵はこんなにハンサムだったんですよ


韓国一の発行部数を誇る保守新聞も流石にこの映画には呆れたようで「実在した人物を愛国心を煽り国民受けするために、ここまで歴史を湾曲するのは間違っている。」と社説に書いている。

史実を書きましょう。
朝鮮王朝最後の王となった高宗の王女・徳恵(トクヘ)と宗家の第38代当主・宗武志(そうたけゆき)は昭和6(1931)年、東京で結婚式を挙げました。
武志は当時、東京帝国大学でイギリス文学を学んでいました。

その前には、高宗の七男・李垠(イウン)と梨本宮家の方子(まさこ)が大正9(1920)年に結婚しています。
明治43(1910)年に併合した韓国との絆を深めようとした、悪く言えば政略結婚であることには違いありません。

徳恵姫は京城(ソウル)の日本人学校6年生、13歳だった大正14(1925)年に東京の学習院に転校します。
日本の王族と同じような教育を受けるためです。
しかし、王女として特別な扱いを受けていた環境が一変し、無理に生母から引き離され、言葉が通じず、生活習慣も違うことから、徳恵姫は精神を病んでしまいます。
昭和4(1929)年に生母の梁(ヤン)貴人が48歳で病死した時には、葬儀のため韓国に帰国できましたが、すぐに日本に戻されました。
生母の死後、徳恵姫はさらにやつれていったのです。
ところが徳恵姫が19歳になった時、不思議に病状が回復し、元気な笑顔を見せるようになりました。
そこで日本政府は、宗武志との結婚を進めたのです。

結婚式のあった年の末、対馬を訪れた新婚夫妻を島民が大歓迎したことは言うまでもありません。
当時、対馬で働いていた韓国の人たちも大喜びしました。
島民たちは募金して清水山城の跡に「御成婚慶祝」の石碑を建て、競うように韓国の人たちが八幡前広場に建てた記念碑が今もあります。
刻銘の下には、寄付した人たちの氏名も彫られています。

二人の間には翌年、長女の正恵が生まれ、政治的な思惑を超えて、愛情に満ちた幸せな家庭が営まれていました。
幸せな日韓家庭が一転して不幸に陥るのは、産後の肥立ちの悪さなどから、徳恵姫の精神病が再発したことが原因でした。
病状は次第に悪化し、寝たきりの生活が続くようになります。
そして、東京郊外の精神病専門の松沢病院に入院しました。

在学中、北原白秋の門下生となった武志は、廣池千九郎が開いた道徳科学専攻塾で道徳を教えながら、東大大学院で英語を学び、卒業後は内閣情報局で英訳の仕事を務め、後、陸軍二等兵として軍務に就きます。
周りの雑音を気にせず、武志は誠実に徳恵をいたわり続けていました。

二人の境遇が一変したのは昭和20(1945)年の敗戦です。
伯爵、王族の身分はなくなり、普通の市民として生きていかざるを得なくなります。
武志は貴族院議員を務めた後、麗澤大学教授となり、その後、外国語学部長や廣池学園常務理事などを歴任しながら、詩人としても活動します。

戦後、日韓両国の関係が悪化したこともあり、昭和30(1955)年に二人は協議離婚しました。
徳恵は梁徳恵に戻ります。

当時、明治大学英文科を卒業して22歳になっていた娘の宗正恵は、音楽を通して知り合った日本人男性と結婚しますが、精神病の母がいることが知られて離縁され、そのまま行方不明になってしまいます。

昭和36(1961)年まで松沢病院で暮らした徳恵は、同年、念願の帰国を果たしますが、病状は回復しないまま、平成元(1989)年に永眠しました。
昭和60(1985)年に逝った武志の後を追うように・・・。

二人の結婚記念碑は昭和36(1961)年頃、道路拡張に伴い広場から撤去され、万松院の境内に保管されていました。
それを復元させようという「記念碑復元実行委員会」が対馬と韓国の双方で発足したのは平成13(2001)年のことでした。
やがて、金石城の跡地である清水ヶ丘公園の一角に復元されました。

不幸な歴史と運命にもてあそばれながら、ある時期、日韓友好を体現した二人の愛情は、今も対馬と韓国の人たちの心に生きているのです。

歴史の真実さえねじ曲げてしまう韓国の恐ろしさには度々驚いてしまいます。
徳恵翁主がいかに夫から愛されていたかを知らされていない韓国の若い世代が、この映画を観て信じてしまう怖さです。
これでは日韓関係は、ますます悪くなってしまいます。

流石の朝鮮日報や中央日報も、これは酷すぎると苦言を呈していますね。





2018年 8月 25日


16日にアレサ・フランクリン(Aretha Franklin)さんが危篤と書いたのですが、その16日9時55分に亡くなりました。
膵臓がんだったそうで、ミシガン州デトロイトの自邸で死去されたとのこと。

今のデトロイトはサマータイム中なので9時55分は、日本時間で22時55分です。
16日に彼女のことを書いて数時間後に亡くなっていたのですね。
合掌。

さて今日はNASの話を書きましょう。
NASとはウキペディアによると『ネットワークアタッチトストレージ (Network Attached Storage) とは、コンピュータネットワークに直接接続して使用するファイルサーバ』だそうです。
何のこっちゃ?
私はパソコン素人なので『NASとはネットワークに繋いだ外付けハードディスク』と解釈しています。
コレで間違っていないでしょ?

私がNASを使い始めたのは17・8年前になります。
仕事をしているとデーターが溜まってゆきパソコンのハードディスクだけではとても賄い切れません。
昔からパソコンを使っておいでる人ならどなたでも同じ道をたどってきたと思うのですが、最初は8インチのディスクでしたよね。
今では考えられない大きな物でした。
しかも容量は80KBしかありませんでした。
次は3.5インチのフロッピーディスが開発され、小さいので重宝しました。
容量も1.6MBと大きくなりました。
でも、チョットした論文を書くにも1枚では収まりませんでした。


左から8インチ、5インチ、3.5インチの
フロッピーディスク

次はCD-ROMでした。
容量は650MBと大幅に向上しましたね。


次にはMOを使いました。
容量はCDと殆ど同じで、640MBでした。
上書きが出来たので重宝しました。
MOはCDと殆ど同じ大きさで、ブラケースに入っており、持ち運びに便利でした。


MO

次はDVDの時代になりましたよね。
容量は片面一層で4.7GBとなり、何でも保存するようになったのはDVDからではないでしょうか。

13・4年くらい前になるでしょうか、いよいよNASの時代になりました。
最初は外付けハードディスクという認識でした。

一昨日、6台目の新しいNASを購入しました。
容量は8TBです。


NAS

記憶媒体の遍歴を書いてきましたが、KB、MB、GB、TBと容量は大きくなりましたが、どれくらい大きくなったかお分かりでしょうか。
桁数が大きくなるので、単位ごとの倍数を書けばそれぞれ1024倍です。
つまり、
 1KB(キロバイト)とは、1024B(バイト)のこと
 1MB(メガバイト)とは、1024KBのこと
 1GB(ギガバイト)とは、1024MBのこと
 1TB(テラバイト)とは、1024GBのことで、約1兆バイトに相当します。
(上記では、単位の変換に現れる数字を全て 1024=210 としてきました。
 これは、2進数の文脈の話です。
 コンピュータでは主に2進数を扱います。
 一方、変換に現れる数字が 1000 であることもあります。)

わずか80KBのフロッピーディスクから始まった私のパソコンは、今や8TBです。
つまり、我が家の記憶媒体は・・・、何倍になったのでしょう。
エーット、約2億5千万倍になったのです。
イヤイヤ、4TBが2台、8TBが1台ありますから、約35億2千万倍になったのです。
技術の進歩ってスバラシイですよね。
3.5インチのフロッピーだったら何枚になるのでしょう。
千七百六十万枚になるんですね。
どこに置きましょうか。
それよりも、保存してあるフロッピーを探すのが大変ですよね。

さて、私の場合は3台のNASを使っています。
 1.仕事用 4TB
 2.写真用 4TB
 3.音楽用 8TB
と別けています。

「何故、音楽用がそんなに大きな媒体が必要なのだ?」と聞かれますが、実は先日まで4TBを使っていたのですが、アルバムが入り切らなくなり、家内の許可を得て買い換えました。
私達はそんなに多くの写真は撮らないのです。
せいぜいが現場写真です。
でも、音楽アルバムはたくさんあり、全てを保存、リッピングしょうと思っています。
友人の佐藤氏に「NASが一杯になった」と言ったら、「聴かないアルバムは削除したら?」と言われました。
でもねー・・・、ひょっとしたら聴くかも・・・、しれないでしょ?

私のような素人でさえ、この様な状態です。
これから先はどうなるのでしょうか。





2018年 8月 16日


昨日はお盆のことを書いていて忘れていたのですが、14日に私の好きなシンガーの記事が新聞に載っていました。
この人のことをどう書けばよいかさえ分かりません。
アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)さんです。
彼女がデトロイトの自宅で12日から危篤状態となり、家族らが見守っているとの記事が載っていました。
日本の新聞に危篤が報じられる外国のアーティストは珍しいのではないでしょうか。
それほど大物なのでしょうね。


若かりし頃のアレサ・フランクリン
現在は76歳だそうです。

さらに、AP通信によると、スティービー・ワンダーさんや黒人差別撤廃の公民権運動の指導者ジェシー・ジャクソン師らが14日、フランクリンさんの自宅を相次いで訪れて見舞ったそうです。

インターネットでは、マライア・キャリーさんらアーティストやファンが回復を祈るメッセージを書き込んでいるとのこと。
ビヨンセさんは13日、夫でラッパーのジェイ・Zさんとデトロイトで行ったコンサートをフランクリンさんに捧げました。

なにせ『ソウルの女王』と呼ばれる伝説的な黒人女性歌手のアレサ・フランクリンさんです。
経歴は煌星のごとくです。
書くのが大変なので1つだけ書くと、
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位に選ばれています。
つまり、彼女は歴史上最も偉大なシンガーなのです。
もうこれだけでお分かりでしょう。

ちなみに1位から10位を書くと、
  1位 アレサ・フランクリン
  2位 レイ・チャールズ
  3位 エルヴィス・プレスリー
  4位 サム・クック
  5位 ジョン・レノン
  6位 マーヴィン・ゲイ
  7位 ボブ・ディラン
  8位 オーティス・レディング
  9位 スティーヴィー・ワンダー
  10位 ジェイムス・ブラウン
どのシンガーも歴史に名を残す人ばかりですよね、納得できます。

彼女は18回もグラミー賞を受賞しました。
アメリカ大統領就任式では3度もパフォーマンスをしているなど、まさにアメリカの現代音楽界を象徴するソウルの女王です。

私は彼女の「Jump to It」、「Freeway Of Love」あたりの80年代のディスコ調の曲にめぐり合い感銘を受けました。

それにしても日本の新聞に危篤が報じられる外国のアーティストは珍しい。
それほど彼女は偉大なのです。

ご回復をお祈りします。





2018年 8月 15日


今年も、日本の一番長い日がやってきました。

8月15日になると毎年靖國神社が話題になります。
そこで今日は靖國神社について私が疑問に思っていることを書きます。


1965年、当時の靖國神社宮司であった筑波藤麿は「鎮霊社」を拝殿の左奥に建立しました。
米軍の準機関紙「スターズ・アンド・ストライプス」は鎮霊社を“Chinreisha is dedicated to the American, British, Chinese, Korean and Southeast Asian war dead fromthe Pacific War”と記しています。
つまり、「鎮霊社は、さきの大戦で亡くなった米、英、中国の将兵と朝鮮人、および東南アジアの戦没者すべてを慰霊する場所」との意です。

つまり、靖國神社は日本人将兵だけではなく、他国の将兵も慰霊しているのです。
しかも、人だけではありません、軍馬・軍犬・軍鳩さえも慰霊しています。
この様な国が他にあるでしょうか。
八百万の神の信仰がある日本だからこそ出来ることなのではないでしょうか。

話が横にそれました。
私は靖國神社にはこれまで幾度となく参拝してきましたが、この鎮霊社には一度も足を運んだことがありません。
そもそも、安倍首相が2014年12月26日に参拝するまで、その存在さえ知りませんでした。
世界平和を祈念すべく筑波宮司が建てたこの社を、なぜ靖國神社はもっと大々的にアッピールしないのか不思議しょうがありません。
鎮霊社を一般人が参拝するのを、あたかも靖國神社側は拒否しているかのようです。
その証拠に、拝殿のすぐ左後ろにあるのに案内標識一つ見たことがありません。

中国・韓国による日本の首相による靖國参拝への非難が、内政干渉であることは言うまでもありません。
とはいえこの様な状態では“Yasukuni”が今や国際問題化してしまった今、日本側が説明責任を果たしているとは到底、言い難い。

例えば、靖國神社の公式ページで鎮霊社を知らない初心者がそれを見つけることはまず無理だでしょう。
仮に発見したにせよ、英文説明はたった2行です。
行き方さえ書いてなく、その消極性は異常だともいえます。

1946年に神社本庁の設立に貢献した神道家の葦津珍彦氏は、同年発表された神社新報に「靖國神社と平和の理想」との題名で寄稿し、ファシストおよび軍国主義に関わるものはすべて靖國神社から取り去るべきだとし、亡くなる1992年までA級戦犯の合祀に反対の立場だったそうです。

2006年10月には、当時、日本遺族会の会長だった古賀誠元自民党幹事長が「A級戦犯の分祀を検討することを遺族会に提案した」と英リーズ大学のカロライン・ローズ氏は書いています。
かたや日本政府のスタンスは「彼らは連合国が一方的に規定しただけで、国内法上の犯罪者ではない」というものです。
つまり、皆さんもご存じのとおり国内世論も真っ二つに割れているわけで、その解決は決して容易ではありません。
だからこそ、打開策の一つとして平和を愛する国家として、鎮霊社を国際社会に知らしめる努力をすべきだと私は考えます。

2020年の東京オリンピックの際は、4000万人もの外国人観光客が訪日するとされます。
それまでの2年間に鎮霊社を積極的に公開し、英語・仏語・中国語・ハングルで参拝案内の看板を設けることを靖國神社に強くお願いしたい。

贖罪意識に縛られている日本人は歴史を持ち出されると今もなお、劣勢に立たされます。
鎮霊社は、その膠着した現状に風穴をあける突破口になりうると思います。

中国国民2000万人、チベット人120万人を死においやった毛沢東の防腐処理された遺体が、霊魂を否定する共産党政権の中国で今も崇拝対象にされているのは茶番です。
北朝鮮でも霊魂のためではなく金日成と金正日親子の遺体が保全処理され、生前の姿のまま平壌に安置されています。
施設改築には国民3年分の食糧がまかなえる巨費が注ぎ込まれたのです。
現在も、両指導者の遺体保全だけで年間約2億円が投じられ、国民生活を圧迫し続けているのです。
これが平和を希求する態度でしょうか。

彼らに言わせれば霊魂は存在しないのだから、本来ならば靖國神社に眠る英霊の戦争責任を追求できるはずがない。
なのに、わが国の首相は彼らの顔色をうかがい参拝一つ堂々とできない。
世界で一番有名な神社として、靖國神社には 『Japan First』であってほしい。





2018年 8月 14日


お盆ですよね。
とりわけ今年は暑いお盆です。
お墓参りに行かれるときは熱中症に要注意です。
私達も昨夜からお墓参りを始めました。
お墓参りは、亡くなった親戚・職人・友人・知人と、歳を取るに従い行くお墓が増えますね。
今夜と明朝にもお墓参りに行きます。
1年に1度、亡き人を偲ぶのも供養ですよね。
あんなことがあった、こんなこともあったと、(不謹慎な表現ですが)楽しいものです。

さて、昨日は笑えた写真をお見せしましたが、今日は不思議な写真をお見せします。

今日届いた荷物を開けて何気なくプチプチを見て発見しました。
コレです。


わかりましたか?
荷造りに使われたプチプチにハート型の物を発見したのです。
写真の真ん中にあるでしょ。

このハートは偶然作られた物なのでしょうか?
よーく見ると偶然にしては形が整っていて・・・。

他のプチプチも探したのですが、コレだけでした。
何だかいいことがありそう・・・。





2018年 8月 13日


今日、一番笑えたのはこの一枚の写真でした。
その写真はコレです。


この写真を見せてくれたのは若いお客様でした。
彼は一人暮らしで、お母さんがいろんな物を送ってくるそうです。
「いつも、こんな段ボール箱で送ってくるんですよ・・・」とのこと。

この写真の何がおかしいかって?
私もわからなかったのですが・・・、よーく見ると・・・。





2018年 8月 10日


昨日お出かけすると道ばたに蓮(ハス)の花が売られていました。
もうすぐお盆ですよね。


人は蓮の花だと言われます。
蓮は、水面に美しい花を咲かせますよね。
けれど、根っこは水中のドロドロした泥の中にあります。
その根っこがレンコンですね。
そして、水面の美しい花と、地中のレンコンは、一本の細い茎でつながっています。

昔の人は、人間をそんな蓮の姿に例えたのです。
レンコンは、肉体です。
その肉体は世間という泥の中にあります。
けれど、精神は蓮の花です。
水面にあって美しい花を咲かせることができます。
その肉体と精神は、一本の細い糸(茎)でつながっています。

精神は、どんどん浄化させていくことができます。
けれどそのためには、泥の中にあって、その泥から栄養分をどんどん吸収しなければなりません。
泥の中だけで一生を終えるか、心の花を咲かせるか。
それは、その人自身の選択です。

根がなければ、花は咲きません。
けれど根が、泥の中で我欲に走れば、根腐れを起こします。
そうなれば花は咲きません。

生きるって、とってもむつかしいことですけれど、でも生きているから花を咲かせることができます。

な~んて、説教師みたいなことを書いてしまいました。





2018年 8月 7日


昨日は8月6日でした、日本では忘れられない日ですよね。

昨年の、広島市で行われた平和記念式典で安倍首相が
「私たち日本人は、唯一の戦争被爆国民であります。その非道を後の世に、また世界に伝え続ける務めがあります」
と挨拶されました。
原爆投下を「非道」という言葉で非難されたことに驚きました。
しかし、全くそのとうりで、原子爆弾の使用は民間人の無差別殺戮であり、非道でした。

折しも新聞には映画「プラトーン」や「JFK」で知られる米映画監督、オリバー・ストーン氏のインタビュー記事が掲載されていました。
ストーン氏はこう語っていた。
「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ」
「日本の人々も、アメリカの神話を受け入れず、なぜ原爆が落とされたかを学んでほしい」

このような見方はアメリカでは必ずしも主流派ではないでしょう。
とはいえ多様な意見、見解が存在し、かつ堂々と表明されるのはアメリカらしい懐の深さだといえます。
主要紙が平気で「原爆投下は神の懲罰だ」、「戦争の早期終結には止むを得なかった」と日本人が言うのには驚きます。
多くの人が原爆により亡くなったことを「止むを得なかった」と、どうして言えるのでしょう。

戦後ずっと、原爆投下の理非追及も不当性や被害を訴えるのも控えめで、「戦争に負けたから仕方ない」と自虐のぬるま湯につかり、問題をあいまいにしてきた。
例えば、広島市の原爆死没者慰霊碑に刻まれた有名な碑文です。


『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』

主語がはっきりせず、まるで日本人が「原爆を落とされるような悪いことはもうしません」と言っているかのようです。
実際、東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事が広島を訪れた際にこの碑文を知り、
「過ちは誰の行為を指しているのか。原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭である」
と憤ったエピソードはよく知られています。

広島市のホームページによると、碑文の趣旨は「原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというもの」だそうですが、そう読み取れるでしょうか・・・、無理でしょう、こじつけです。

また、長崎市長を4期務めた本島等氏は新聞のインタビューにこう語っていた。
「日本がアジア太平洋戦争などで行った数々の悪魔の所業を思うと、原爆投下は仕方なかった、やむを得なかった、と言わざるを得ない。東京大空襲や沖縄戦も同じだ」
長崎で生まれた人が市長になって「(原爆の投下は)やむを得なかった」と言ったのです。
一般市民が無差別に大量虐殺された日本側がこんな状態では、アメリカが原爆投下を正当化する姿勢を改めることは期待し難いですね。

オバマ元大統領が来日した折りに記者会見で、こんな代表質問がありました。
「過去に日本に2発の原爆が投下されたことについての歴史的な意味をどうとらえ、現在もその選択は正しかったと考えていますか」
「核なき世界」を目標とするオバマ元大統領も、この質問には一切答えず、はぐらかした。
歴史問題をめぐって日本も、たまには相手の痛いところを突くぐらいした方がよいはずです。





2018年 8月 6日


今年も若松さんが鈴虫を持ってきてくれました。
今もカウンターの上で『リーン、リーン』と鳴いています。


昨日の花火といい、この鈴虫といい夏の風物詩ですよね。

若松さんは奥さんによると、鈴虫を孵化させるためにご自宅の一室を鈴虫部屋にしておいでるそうです。

毎年、有り難うございます。
今年も楽しい夏になりました。

ところで、文部科学省唱歌の「蟲のこゑ(むしのこえ)」の歌詞をご存じでしょうか。
若い人たちはご存じないかもしれませんね。

   あれ、松蟲が鳴いてゐる
    ちんちろちんちろ ちんちろりん
   あれ、鈴蟲も鳴き出した
    りんりんりんりん りいんりん。
   秋の夜長を鳴き通す
    ああ、おもしろい蟲のこゑ

この詩の中にある松蟲(まつむし)とはどんな虫かご存じでしょうか。

「マツムシ」と「スズムシ」の画像をクグッてみると、似てますよね、同じ虫に見えます。
古くはスズムシのことを「マツムシ」、マツムシのことを「スズムシ」と呼んでいたそうです。
何だかややこしい話になりそうですから、コレで「マツムシ」「スズムシ」のお話しはおしまいにします。





2018年 8月 5日


昨夜は家内と二人で川北の花火を見に行ってきました。


川北の花火は十数年前より毎年行っていたのですが、去年だけは欠席しました。
毎年、友人達とバーベキューをしながら、又はお寿司などを食べながら見ていたのですが、「今年は二人だけで見ようか」となり、デートとなりました。

突然、家内が「私達って、結婚する前からデートをしたことないよね」と言うのです。
私にすれば、ボーリングにも、映画にも、旅行にも行ったじゃないかと思うのですが。
でも確かにそれは、買い物に出たついでのボーリングで、工事現場を見に行ったついでの映画でした。
旅行も二人だけで行ったことはありません。

デートもしたことがない夫婦なんて皆さんには考えられないでしょうね。

年がら年中、二人で居るのに・・・。
普通の夫婦とは違い私達はいつも朝から晩まで・・・、いやいや、朝から朝まで一緒で、どこへ行くにも一緒に出かけます。
別行動を取るのは一週間に一度、家内がお茶を習いに行くときだけです。

家内が友人から「なんで今でもイチャイチャ出来るの?」と聞かれたそうです。
別にイチャイチャはしていませんが、いつも一緒にいますね。

まぁ、いいじゃないですか、大工集団 欅に来られたなら、この幸せをお裾分けしますよ。





2018年 8月 3日


今日は私の誕生日です。
64歳になりました。
母はこんな暑さ真っ盛りの日に私を生んでくれました。


この歳になると、朝起きて家内から「誕生日、おめでとう。これからも良い子でいてね」と言われて、「ああ、今日は誕生日なのか」と思うくらいで、特別の日ではありません。

今日は誕生日のことを書くのではありません。
歳をとったせいでか最近、子供の頃の夏と今の夏の違いを感じるのです。
今年はとりわけ暑い日が続いていますが、同じ夏でも私の子供の頃の夏と今の夏ではどうも違うようです。

60年前には夏になると、家の中も衣更えをしました。
座敷の襖(ふすま)や、障子をとり払って簾戸(すど)に取り換え、庇に簾(すだれ)を掛けて、涼しげな夏座敷を装ったものでした。

日本語には、夏扇、風鈴、夏衣(なつぎぬ)、夏帯、夏座布団、夏布団、夏掛け、夏神楽、夏羽織、夏足袋をはじめとする、夏の到来にともなう多くの語彙があります、いや、ありました、かな?

青々と茂った夏山、夏木立、夏陰、夏らしく装った家である夏館(なつやかた)は、みな季語です。

私は夏になると裸足で過ごしているのですが、裸足も夏の季語ですよね。
小学校へ入学するまでは下駄を履かされていました。
裸足で下駄を履くのが快かった。
季語、季題は、日本に独特なものです。

路地に竹や木で造った縁台を出して、近所の人々と心を配りあって、夕涼みの時を過した。
住居は風の通りみちでした。
日本人は季節のうつろいにも、人にも心をつかっていました。
心は情けの通りみちだったのです。

日本語には、心配り、心づかい、心合い、心情け、心づくし、心有り、心意気、心勢い、心一杯、心入れ、心得、心がけ、心根、心がまえ、心ぎき、心添え、心碎き、心立てをはじめとして、心がついた言葉が、200以上もあるそうです。

ところが、英語となるとコンサイスをひいても、心のheartがつく熟語は、heartattack(心臓麻痺)、heartburn(胸焼け)、heartdisease(心臓病)といった物騒な言葉ばかりです。
日本語のようなやさしい言葉は一つもありません。
この違いは何なのでしょう。

かつて、私たち日本人は心の民でした。
それなのに、今では建物や、住居を鉄やコンクリートやガラスによって密閉するようになってから、風や情けが通わなくなったのではないでしょうか。
西洋人の猿真似に、うつつを抜かしたなれの果てです。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)といえば、日本に帰化した作家で、文芸評論家ですが、ハーンは日本人の心性の高さに魅了されました。
そして日本の西洋化が進んでいるのを嘆いて、口癖のように、「耶蘇(やそ)が悪いのです」と言ったそうです。
耶蘇とはキリスト教のことですが、ハーンは西洋化という意味で使っていたそうです。

夏といえば、昔、夏子という女性がいました。
今から、110年以上前になります。
5千円札に樋口一葉の肖像があしらわれていますね。
一葉は筆名で、本名を「なつ」といいますが、夏子とも書きました。

樋口一葉は日本が日清戦争に勝った翌年に、25歳の若さで病死しました。
一度も、洋装をしたことがなかったそうです。
5千円札の肖像はなつがたった1回だけ、写真館で撮った写真がもとになっています。
しかし、顔から陰翳を取り除いて、平面的にしたために、もとの写真の理知的で、蠱惑的な美貌が伝わっていないのは残念です。

なつは、明治5(1872)年に、東京府の下級官吏を父として、府庁舎の長屋で生まれました。
父は甲斐国(現在の山梨県)の農家の子で、明治元年の11年前の安政4(1857)年に、江戸に出た。
なつが17歳になった時に、父が事業に失敗し、多額の借金を残して病死した。
なつは母と妹をかかえて、針仕事や洗い張りなどの内職によって生活を支える、不遇な生涯を送った。
そして明治29(1896)年に、肺結核で亡くなった。

なつは日記を遺したが、病没した前年の明治28(1895)年に、日記に「安(やす)きになれておごりくる人心(ひとごころ)の、あはれ外(と)つ国(くに)(註・西洋)の花やかなるをしたい、我が国振(くにぶり)のふるきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵芥(ちりあくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず」「流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と、嘆いています。

私は5千円札を手にすると、時々なつの警告を思い出します。
なつの学歴といえば、11歳で4年制の小学校を卒業しただけだったそうです。
それにしても、いまの日本には教育があって、教養がない女性が・・・(すみません)。

そんなことを考えた64歳の誕生日の朝でした。





2018年 7月 30日


昨日は夫婦二人して泣き笑いの一日でした。
午前中はヤギ飼いの私達にとって一番辛い時間でした。
ヒップとマユが小松の久保さんに引き取られて行ったのです。


生まれて4ヶ月、可愛い子ヤギ達と暮らせました。
運動神経が抜群で、垂直跳びは1メーターでも跳んでいたヒップ。
臆病で近づくと後ずさりしていたのに、ようやく人になれて呼んだら近づいてくるようになったマユ。
2頭とも可愛い子達でした。
でも、私達は安心しています。
引き取っていただいた久保さんはヤギを飼うのに熱心に勉強もされました。
車に乗せられて行ってしまってから、啼いてないか、怖がってはいないかと心配していたのですが、久保さんから「啼きもせずに着きました」とわざわざメールをいただき、夕方には散歩もしていただいたとメールがきました。
良い人たちの所へ行ったと感謝しています。

今までは、子ヤギがもらわれたて行った日は二人とも無口になっていたのですが、今年は信頼できる久保さんだったので無口にはなりませんでした。

そして夕方、喫茶大工集団 欅の店仕舞をしてからお出かけしました。
台風の影響で一日順延された北國花火大会です。
駐車場と指定席を予約してあったので店仕舞いした後でも充分間に合いました。


花火を見るといつも花火師の心意気を感じるのです。
観客の私達は「わー、きれい!!」と見ているのですが、その間も花火師達はその花火を打ち上げるのに忙しく働いているのです。
見えないところで観客のために汗している花火師のことを思いながらドンという音を聴くと感動してしまうのです。
北國花火大会はかほく市にある北陸火工株式会社が担当されているそうですが、社員は20代の人が多く、しかも女性だそうです。
アナウンスでそれを知り、花火師のイメージが変わりました。

今回の花火大会ではスタートとフィナーレに音楽がかかりました。
私達の席はスピーカーに近かったこともあって、それはうるさいだけでした。
花火と音楽のコラボだったのでしょうが、私などは花火のあの炸裂音だけで充分なのです。
もっと言うなら、花火のドンというレスポンスのよい強烈な音を聴きに行っているのです。
あの強烈な音はオーディオでは再生はむずかしい。
花火の生音とオーディオでの再生の違いは、臨場感なのですが、低音域のスピードに尽きます。
音の立ち上げを早くすると下がるのも早く響きがなくなります。
逆に残響を過多にすれば音に湿りがつき乾いた音にならない。
微妙な調整がむずかしい。

花火が上がります。
大抵はヒューンという音がしますが、これは玉が風をきる音ではなく、音を出す笛が仕込まれているそうです。
このヒューンという音を怖がる人は少ないと思います。
そして美しい花火の光が夜空に舞います。
そしてドンと炸裂音ですね。
光ってから距離によって遅れて音が聞こえます。
この炸裂音ですが、花火の種類や距離で音圧や周波数も変わります。
でも、かなり低い超低周波を含み、耳で感じるというより体で感じる方が大きいと思います。

雷と比較しましょう。
雷の音は、花火の音に比べて圧倒的に嫌いな人が多いですよね。(あまり雷の音が好きだという人を見たことがありませんが)
何が違うのでしょうか?
音の周波数成分がかなり違うのです。
雷は超低周波からかなり高い高周波まで含まれていて、かつ歪んだ音です。
これに対し花火の炸裂音は、比較的低い周波数で反射時に共振や衝撃で副音(花火自体以外の音)がします。
近くだとこの音と一緒に大きな振動も感じます。

花火の音がダメという方は、多分音の大きさ(鼓膜で飽和している)と振動が許容範囲を超えてしまうのではないかと思います。
許容範囲を超えた音を聞くと、自己防衛本能で鼓膜と脳は、リミッターを働かせます。
すなわち急に音が聞こえなくなることがあるようです。
これも恐怖心を仰ぐ理由かもしれません。
その音の後に来る恐怖が、怖い、嫌いという反応になり花火の音が嫌いになるのではないでしょうか。

雷はどこに落ちるかもわからず、花火と違って災難しか生みません。
だから雷の音は人に恐怖心を起こさせるのではないでしょうか。

花火の音が嫌いという人は音がダメなのか振動がダメなのか、別の原因があるのかで、慣れる場合と慣れない場合があるそうです。

私はドンという花火の音が大好きです。

ヒップとマユは朝啼きしなかったでしょうか。





2018年 7月 25日


毎日書きますが、暑いですねー。
日射病や熱中症という言葉は、明治時代から知られていたそうです。
「気温ノ直接作用ニ起因スル疾病ハ日射病及熱中症是ナリ」。
これは医師であった森鴎外(森林太郎)が明治30年に共著した『衛生新篇』の中に記載されている一文だそうです。

さて突然ですが、今日は日本のお医者さんに感謝したいと書いてみます。


先日、文部科学省前局長の佐野太が息子を東京医科大学に裏口入学させた事件がありましたが、お医者さんってそんなに儲かるのでしょうか。

そんな話はさておき、連日の猛暑で、熱中症で多くの方が救急車で運ばれ処置を受けておいでます。
今日の新聞に、総務省消防庁によると、今月16日から23日までの8日間で、熱中症のために搬送された人は2万4000人を超えた、と書かれていました。
これほど多くの人が・・・と思いましたが、熱中症で搬送をしてもらえる国は稀で、われわれは感謝の気持ちを持たないといけません。
同時にこれだけの医療体制は維持の限界にまで来ていることも自覚すべきだと思う。

日本では医療費の増大が問題だと常に報じられていますが、対GDPの医療費は8%で先進国の中では最も低いのだそうです。
これはシーリングがかかっているからですが、そこで負担を一手に引き受けているのが実は日本の医師なのです。
時給にしたら決して高くない賃金で長時間の要求の高い仕事をこなしているのです。
これから高齢者が増えればさらに彼らの負担は大きくなります。

私も数か月に一度、病院へ行っていますが、いつも改めて感心するのは日本の医療制度を支える医師の皆さんの献身的な態度です。
その病院は大学病院ですから救急病院にも指定されており、いつもたくさんの患者でごった返しています。
今日も暑い日だったので、熱中症の人がたくさん救急車で病院に搬送されたでしょう。

ある時、病院で目にした若者を思い出しました。
彼は病院に連絡もせず友達に連れられて救急に飛び込んできたようでした。
なので、受付を含めて正式な手続きをする必要があったのですが、それにいらだち「これがたらい回しってやつか」と毒づいていました。
でも、彼は少し待てば必ず診察をしてもらい、手当もしてもらえるのです。
この若者は知らなかったのだろうが、休日で連絡なくても少し待てば確実に診てもらえる医療が存在する国は世界ではかなり稀有なのですよ。

日本人は「医は仁術」とか「医者は何があろうが患者を診て当たり前」と思っているが、そんなことを言っている国は日本以外にはありません。

外国にいて、お金のない人、保険に入っていない人、こういう人がまともに救急車にも乗せてもらえない実情を知らないのです。
治療費だってべらぼうに高い。
盲腸の手術でアメリカなら300万円だそうです。

日本の「待てば誰でも必ず安価に見てもらえる」というこの医療制度が、日本の医師の長時間労働にどれだけ支えられていることか。
もっとわれわれは認識せしなければなりません。

もう医師は限界までくたびれているのです。
医師の長時間労働にこれだけ依存しながら、少しのミスも許さず医療訴訟を起こしまくるモンスターペイシェントも増えているそうです。

そういう現実をみてしまった医学生のうち医師にならない人も出てきています。
医学部に入ったものの医師に現実を見てコンサルや金融に行く人が後を絶たないそうです。
医学部に入るくらい勉強して頑張ってきた人間にはほかの選択肢はいくらでもあるのでしょう。
医師に無理させればさせるほど医師は少なくなり、われわれは望む医療を手に入れられなくなるでしょう。
医師を長時間働かせてこきつかって文句を言えば確実に自分に唾を吐く行為になるのです。

でも、自分が医師だったら休みの日でもここまであらゆる方々に献身的にできるだろうか?
必ず具体的な結果を出し続けていかないといけない医師はプレッシャーとも戦っているのです。

今回は詳述しませんがこの素晴らしい医療体制は財政的にも限界がきている。
今の国民負担ではもたない。
医者と将来へのツケ回しで持っているこの医療体制についてわれわれはもっと知り議論していくべきではないでしょうか。

ところで、
熱中症の予防策として何より頼りになるのは、森鴎外の時代にはなかったエアコンでしょう。
贅沢品だったエアコンが、乗用車やカラーテレビとともに一般家庭に普及するようになったのは、「昭和元禄」といわれた昭和43年からだそうです。
そして46年からはエアコン使用のために、消費電力が真夏にピークを迎えるようになりました。
このまま厳しい暑さが続けば電力が足りなくならないか、心配でです。
関西電力は先週、電力需給が逼迫して、他の大手電力に緊急の電力融通を要請しました。
関電では高浜原発4号機の定期検査が9月まで予定されているそうです。
来月3日からは3号機も定期検査に入るというから、まだまだピンチは続きます。
今月はじめに政府が閣議決定したエネルギー基本計画は、原発の建て替えには触れていません。
今後増設なしで、夏を乗り切れるのか。
猛暑と闘いつつ、エネルギーについても真剣に考えなければならないのではないでしょうか。






2018年 7月 24日


暑い日が続きますね。
大工集団 欅のヤギたちも放牧場では陰になるところがないので、山の中ですごしています。
元々ヤギは暑さにも寒さにも強い動物なのですが、これだけ暑くなると日照りの中では可愛そうですからね。

皆さんは暑さ対策をしておいでますか。
私どもは別段これといって対策はしていないのですが、夏になるとスイカを水を飲む替わりに食べています。
先日も河北潟の干拓地で赤と黄色のスイカを買い求めてきました。

昨夜、家内が「スイカを食べていたらにらまれた。」というのです。
家内をにらんでいたヤツはコイツです。


コレなんだと思います?
スイカの種です。
確かに、目がつり上がってにらんでいますよね。

コレを見てからスイカを食べると種が気になってしょうがありません。





2018年 7月 20日


皆さんは数多いギターリストの中で誰がお好きでしょうか?
私は一人だけと言われれば、カルロス・サンタナ(Carlos Santana)です。
今日7月 20日は彼の誕生日です。


彼のギターを一言で言えば、『ラテンの情熱をロックに吹き込んだ魂のギター・サウンド』となるのではないでしょうか。
複雑に絡み合うラテン・パーカッションのリズムを初めて本格的にロックに取り入れたのです。

彼は、メキシコの小さな町、オートランの生まれです。
13歳でサンフランシスコに移住し、69年にはレコード・デビュー前にもかかわらず、あの歴史的な「ウッドストック・フェスティバル」に出演するほどの人気を獲得していました。

このウッドストックは映画にもなりました。
観ましたよ、私も。
ウッドストックは1969年8月15日ら17日までの3日間でしたが、映画はアメリカで1970年に上映されました。
でも、私が観たのは確か1971年だったような・・・、日本では遅れたのかもしれません。

いやーぁー、ショックでしたね。
出演アーティストは30組以上、観客は推定40万人以上と推定されています。
ウッドストックは、若者が熱狂した最先端の音楽の祭典でした。
コンサートの規模もそうなのですが、ミュージシャンの演奏に驚きました。

ジョーン・バエズ、ジャニス・ジョプリン、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、テン・イヤーズ・アフター、バンド、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、シャ・ナ・ナ・・・。

どのアーティストも凄かった。
そんな中でも私がショックを受けたのはサンタナでした。
あの哀愁を帯びたギターはそれまで聴いたことのないものでした。
映画館を出た私はレコード店に直行してサンタナを探したのですが、その時にはたった一枚しかなかった彼のデビュー・アルバム『サンタナ』は売り切れていました。
みんな映画を観た後に買いに走ったのでしょうか。


ウッドストックでのカルロス・サンタナ
若~い

そしてもう一人、ジミ・ヘンドリックス(James Hendrix)です。
最後に登場したジミ・ヘンドリックス。


ウッドストックでのジミー・ヘンドリックス
これでもほとんどの観客はった後だったそうです。
確かに上のサンタナの写真と見比べると、
後ろの方には観客はいませんよね。

彼がギターで弾くアメリカ国歌は、この上ない名演で、フェスティバルに心地よい余韻を残してくれました。
後で知ったのですが、彼が出場したときには暦ではもう4日目の朝になっていたため、会場には数百人程しか観客が残っていなかったそうです。
帰ってしまった人たちは後で映画を観て悔しがったでしょうね。

国家をギターでロックアレンジして演奏する・・・。
君が代では考えられませんよね。

あれれ、いつの間にかウッドストックの話になっていましたね。





2018年 7月 18日


日本の夏は、どうやら世界有数の凶暴さのようです。
アフリカのコンゴから来た留学生が、「コンゴの夏は、日陰に入るととても涼しい。でも、日本はどこに行っても湿度が高すぎる」と言っていました。
日本はコンゴより暑いのか?!


この100年で東京の気温は3.3度、上がったそうです。
日本はもはや亜熱帯と言ってもいいのに、
今年もまた、サラリーマンは背広を着せられ、
結果、会社では冷房をガンガンに入れ、
女子社員は冷え性に苦しみ、
エアコンの排気熱で都会はさらに灼熱の亜熱帯になり、
そんな炎天下で生徒の体調をまったく無視した高校野球がおこなわれ、
試合終了と共に脱水症状で担ぎ込まれる選手が日本各地で続出します。
しかし球児の健全な生育と行動を求める高野連は何人の選手や応援団員が倒れようとスケジュール通りに試合を進行し、
そして日本人の大人は必死に仕事を続けるのです。

これほど真面目な国が他にあるでしょうか。





2018年 7月 17日


むちゃくちゃ暑い日が続いていますね。
暑いだけではなくて、湿度が高いのにはまいります。
大工集団 欅から見える山々はかすんで見えます。
それほど湿度が高いのです。
「熱射病に注意」と言われていますが、ほんとに注意してください。


さて、最近は夜な夜なLPレコードをデジタル録音しています。
あまり整理されていないレコード棚から適当に摘み出して来て、ターンテーブルに乗せて録音しています。

『ああ、そうだった、昔こんなレコードも聴いていた』
『このLPは○○○した時に買った物だった』
と、懐かしいレコードが出てきます。

今夜はビリー・ホリデイを録音しようと思います。
実は今日はビリー・ホリディの命日なのです。


今ではボーカルは聴かなくなってしまいましたが、若かりし頃には聴いていたのです。
今日は少しビリー・ホリデイを書いてみます。

不世出の女性ジャズ・シンガーと呼ばれているのがビリー・ホリデイ(Billie Holiday, 1915年4月7日 - 1959年7月17日)です。
黒人ゆえの悲惨な生い立ちも手伝い、彼女は悲劇の人生を歩んだといわれています。
それゆえホリデイの歌には常に暗い影がつきまとい、たとえ明るい歌でも彼女が歌えばブルージーな響きに満ちたものとなるのでしょうね。
しかしこの個性によって、ジャズ・ヴォーカル界を代表する大シンガーのひとりとなったのです。

1915年4月15日、メリーランド州ボルティモアで生まれたホリデイは、自伝によれば15歳の父と13歳の母の間に生まれたとされている。
小さなときから歌が好きだった少女は、ルイ・アームストロングやベッシー・スミスのレコードを聴いてジャズ・ヴォーカルに開眼したそうです。
しかし11歳で強姦されるという体験をした彼女は、14歳でハーレムの娼家に身を落とし、その結果、売春罪で投獄されてしまう。
出所後はセミ・プロのような形で歌をうたい始め、1930年の暮れにニューヨークのクラブ「ログ・キャビン」のオーディションに合格して本格的にプロの道を歩き始める。

ここまでのことをもう少し詳しく紹介すれば、こういうことになります。
ホリデイは無力な母サディ・ハリスのせいでボルティモアに住む家族や友人のところに預けられ、祖母と呼ばれるマーサ・ミラーおよび同居人のジェニー・コンウェイによって育てられています。

母サディは1920年にフィリップ・ゴウと結婚し、ホリデイは彼らと一緒に生活するようになった。
しかしこの再婚が破局を迎えるや、彼女は学校に行かなくなり、その結果1925年1月に少年裁判所で、1年間キリスト教の施設に収容という判決を受けている。

母親が引受人となって出所したホリデイは、引き続き学校にはときたましか行かない生活に戻ってしまう。
そして1926年のクリスマス・イヴの日、彼女はウィルバート・リッチにレイプされたのだった。
彼は1927年1月に裁判を受け、「11歳の少女をレイプした」罪で有罪判決を下されている。
驚くのは懲役刑がたったの3カ月だったことだ。
そのうえ、ホリデイがのちになって主張しているように、彼女はレイプされたその日に施設に送り返されてしまったのである。

ホリデイがジャズに興味を持ち始めたのは1928年のことだったそうです。
家政婦として働き始めた「小さな売春宿」で、ルイ・アームストロングのレコード「ウエスト・エンド・ブルース」を聴いたのがきっかけでした。
そしてその年の終わりに母サディは新しい生活を求めてハーレムに引っ越し、ホリデイも数カ月後に彼女を追ってニューヨークにやって来ました。

サディは140丁目のレノックス・アヴェニューと7番街の間に住んでいた。
アパートの家主フローレンス・ウィリアムスは売春宿のオーナーでもあった。
そこで生活のためにサディは売春婦となる。
その数日後には娘ホリデイも同じ仕事に就いたのでした。
ホリデイはボルティモア時代から売春に手を染めていたと思われる。
確かな事実は、この時点で彼女が14歳だったことです。
暗い過去である。
その過去を背負ったホリデイの歌は、だからこその説得力に溢れていた。

ところでホリデイは“レディ”と呼ばれることが多い。
名字のホリデイ(本名はエリノラ・フェイガン)と合わせて“レディ・デイ”と呼ばれることもある。
それは、クラブで歌ってチップをもらう際に、彼女が淑女然とした態度で受け取ったことからつけられたニック・ネームだそうです。
そのホリデイに大きなチャンスが巡ってくるのは1933年に「モネット」で歌っていたときのことでした。
著名なジャズ批評家のジョン・ハモンドが彼女の歌を聴いて感銘を受け、彼の推薦で“スイング王”ことベニー・グッドマンのレコーディングに推薦されたのです。

次いでホリデイは1935年から39年にかけて行われた史上名高いテディ・ウィルソンのブランズウィック・セッションに参加する。
これもハモンドの推薦によるものだった。
数々の大物ミュージシャンと共演した彼女は、このレコーディングによってジャズ界を代表するシンガーのひとりと目されるようになる。
またこの時期とほぼ一致する1936年から42年にかけてはホリデイ名義でヴォキャリオンにオールスター・メンバーをバックに吹き込みを行ない、こちらも大評判を獲得している。

ジャズ・ヴォーカルのスターとなったホリデイが次に契約したのはメジャー・レーベルのデッカでした。
ここでは1944年から50年まで録音を残している。
この時代が彼女にとっては絶頂期だった。
このときの吹き込みを聴けば、いかにホリデイが類い稀な才能を持ったシンガーであるかがわかるはずだ。

こうしてスターになったホリデイだが、少女時代から始めていた麻薬の悪癖とアルコール依存を断ち切ることはできなかった。
その影響で感情の起伏が激しくなり、それを紛らわすためにますます悪癖にのめり込んでいく。
その結果、歌への意欲はひと一倍あったものの、声の衰えが急速に進み、思うように歌えないとジレンマに陥る。
こうした悲惨な状況の中で、ホリデイは1959年7月17日に肝硬変の悪化から昏睡状態に陥り、生涯の幕を閉じています。

彼女の才能と感情表現が最も際立っていると言われるアルバム、『Twelve of Her Greatest Interpretations』、彼女の代表曲『Strange Fruit(邦題:奇妙な果実)』が収録されている『Lady Sings the Blues』・・・、数ある彼女のアルバムの中で一枚だけご紹介すると『Lady in Satin』でしょうかね。


『Lady in Satin』は不世出のジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイがこの世を去る前年に吹き込んだ作品です。
声の衰えは隠しようがない。
高音は伸びが悪いし、音程は不安定。
それでも彼女の歌は胸に強く迫る。
ジャズ・ヴォーカルがテクニックだけの歌でないことをこの作品は教えてくれる。

歌いたい気持ちと、その歌の世界を伝えることができる表現力。
このときのホリデイは誰よりもこれらふたつで勝っていた。
一般的な基準にあてはめるなら、この作品より優れた内容のものも少なくない。しかし感動を覚える点で、ホリデイが残した諸作でこれを超えるものはひとつとしてない。

彼女が歌う曲はどんなものでも翳りを帯びたブルージーな内容になる。
悲しい生い立ちをヴォーカルに反映させていたからかもしれない。
しかしそれは暗いだけの歌とは違う。
そこには、最後に必ず明るい未来への期待が込められていた。
このアルバムも例外でない。




2018年 7月 14日


喫茶 大工集団 欅は喫茶店です。
当たり前のことを書いて申し訳ありません。
今、喫茶店やレストランで問題になっている物があります。
そりは、ストローです。


環境保護に対する意識の高まりを受け、プラスチック製ストローを廃止する動きが海外で広がっているのです。
米McDonald'sは、9月から英国とアイルランドの計1361店舗でストローを紙製に切り替えるほか、米Starbucksも、2020年までに全世界でプラ製ストローを廃止し、ストローが無くても飲めるふたを導入する計画だそうです。
でも、そのふたもプラ製なのですがね。

そんな海外の動きを受け、日本マクドナルドもストローの切り替えを検討すると発表しました。
スターバックスコーヒージャパンは、20年までにプラ製ストローを廃止する方針をすでに固めてい戸のこと。

こうした動きは今後さらに加速し、プラ製ストローは国内の飲食店からいつか消えてしまうのでしょうか。
でも、プラ製ストローは日本ではなくならないと言われています。
プラ製ストローの廃止を始めたのは一部の外資系企業だけで、国内でプラ製ストローの廃止が進まない最大の理由は代替品として期待されている紙製ストローに多くの課題があるためだそうです。

紙製ストローの課題とは、
(1)コストの高さ
(2)耐久性の低さ
(3)粉の出やすさ
の3点です。

紙製ストローは、製造コストがプラ製の4~10倍かかるため、比例して価格も高く、導入企業の原価を圧迫するでしょう。
強度にも問題があり、10分間水分に浸しておくとふやけ、飲んでいる最中に飲料が外に飛び出す危険性もあります。
さらに、トイレットペーパーの芯などと同様、原紙を巻いて製造している特性上、紙の粉なども生じやすく、粉が中身に溶け出してしまいます。

ストローの製造メーカーでは、今後は外資系企業を中心に、いったん紙製ストローに切り替えたものの、問題が生じてプラ製ストローに戻す企業が出てくる可能性もあるとしています。

また、欧米と日本ではストローの処理方法が異なることも、国内でプラ製ストローがなくならない要因なのです。
欧米ではストローを処理する際に埋め立てる国が多いそうですが、日本では焼却炉の整備が進んでおり、大半が焼却処理されています。
そのため、海辺に大量に埋められて海洋汚染につながるケースは比較的少ないという。

しかし、飲食店が分別せず、残飯などの燃えるごみに混ぜてプラ製ストローを廃棄してしまうと海洋汚染となります。
ストローをプラ製から紙製に切り替えるコストよりも、ごみの分別に要する人件費などの方が安いはずです。
ですから、飲食店は分別を推進してほしい。
焼やされるストローを減らすことこそが、二酸化炭素の排出量削減などにつながるのです。

前述の通り、紙製ストローの利用でさまざまな問題が起きれば、飲食事業者のイメージダウンは避けられません。
導入を検討するお店は、こうしたリスクを知っておく必要があります。

国内の飲食事業者は今後、どんな対応を取るのだろうか。
海外の流れに乗るのか、リサイクルに注力するのか、大きな変化はないのか。

喫茶 大工集団 欅では紙ストローによってお客様にご迷惑をかけるくらいなら、面倒でも分別廃棄をしてプラ製ストローを今後も使ってゆくつもりです。




2018年 7月 13日


やられたー!!!
ちくしょー!!!

昨日は家内と朝から外出していました。
夜、家に戻ると・・・。
南の勝手口にタマネギの皮が散乱しています。
あ~ぁ、猿です。
日中に猿が来て勝手口においてあったタマネギとジャガイモを全て食べてありました。


後片付けがが大変です。
あいつらは皮や縛ってあった紐を巻き散らかしてゆくので、一つずつひらわなければなりません。
食事の後かたづけくらいしてゆけよ!

そして今朝。店に来ると・・・。
デッキの床が・・・。
タマネギの皮が散乱していました。
またー!
ええ、片づけましたよ。
猿のために何でこんなことをしなければならないのか。

猿やイノシシの被害は、彼らの生息地の広がりとともに拡大してゆくばかりです。
これからどうなるのでしょう。
ここだけではなく、日本の至る所で獣の被害が出ています。
このままでよいはずがないのですが、行政は何か考えているのでしょうか。

私がこの吉野に引っ越してきた二十数年前にはイノシシは白山の福井側にしか居ないと言われていました。
猿は中宮で餌付けされており、ここには居ませんでした。
それが今では・・・。
イノシシは奥能登にまで出るようになり、猿も金沢の南部にまで生息するようになりました。

このままでよいのでしょうか。





2018年 7月 11日


昨日、オーディオファミリーの西本が友人を連れて来店し、10月21日に坂田明・スガダイローその他でコンサートを松任の聖興寺で開くとポスターを持ってきました。


チケットは1ドリンク付きで3,000円です。
お申し込みは喫茶大工集団欅までお電話ください。
 電話 076-255-5878

このコンサートの主催は『NPO法人 白山ヌーベルバーグ(申請中)』という団体です。
白山ヌーベルバーグの趣旨は『白山市をもっと活気のある楽しい都市にしょう』というものです。
私はこの趣旨に賛同し、設立委員に参加しました。
この様なコンサートだけではなく、これからいろんな企画をしてゆきたいと思います。
お楽しみに。




2018年 7月 8日


ようやく雨が上がって、大工集団 欅のヤギたちはパドックから出て裏山で草を食べています。
お客様からよく「ヤギは雨の日はどうしているの?」と聞かれます。
ヤギは雨が大嫌いで、雨の日はヤギ小屋か、その横にある屋根のかかっているパドック(遊び場所)にいて、その日の朝に刈ってきた草を食べています。
そうなんですよ、雨が降ると私は早起きして草刈りをしなければならないのです。

さて、昨夜はハービー・ハンコック(Herbie Hancock)の『Herbie Hancock Trio'77』を聴きました。
するとどうしてもロン・カーター(Ron Carter)の『Third Plane』を聴きたくなります。


Herbie Hancock Trio'77

Ron Carter Third Plane

上記の2枚はハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムス(ドラムス)という同じメンバーで録音されました。
録音日は1977年9月21日で同じ。
録音したスタジオも同じです。
というわけで双子の2枚のアルバムなのです。

でも、違いがあります。
ハンコックの方『トリオ'77』は「ハンコック初のピアノ・トリオ・アルバム」ということもあってよく知られている一方、カーターの『サード・プレイン』方は知名度が低いのです。
『サード・プレイン』にはハンコックの代表作「ドルフィン・ダンス」やスタンダード「ステラ・バイ・スターライト」の人気曲もちゃんと入っているのですが・・・。
こう書くとロン・カーターには皮肉になりますね。

いずれにせよ、60年代マイルス・デイヴィス・クインテットを支えた最強のリズム・セクションだけあって、いずれもすばらしく緊密なトリオ演奏を聴かせてくれます。




2018年 7月 7日


今日は7月7日、七夕です。


喫茶大工集団 欅の七夕飾り

今年の七夕は、西日本に降る記録的豪雨で七夕どころではありませんね。

古来、七夕と雨は浅からぬ縁で結ばれていたようです。
牽牛と織り姫を詠んだ中国の古詩に「泣涕零如雨」の一節があります。
一途に相手を思う織り姫が雨のような涙を流している、というのです。

牽牛も女心を察してか、七夕前日の6日は逢瀬に使う牛車を丹念に洗ったという。
7月6日あるいは七夕の雨は牛車から飛び散るしぶきとされ、「洗車雨(せんしゃう)」と呼ぶそうです(『雨のことば辞典』倉嶋厚、原田稔編著)。

雨と涙の関係は詩情的な言葉も育んできましたね。
恋にまつわる涙を「袖の雨」「袖時雨」といいますよね。
悲嘆の折に降り注ぐ雨を「涙雨」と呼びます。
これらの言葉を口にするとき、土砂降りの雨を思い浮かべる人はいないでしょう。

今回の西日本に降り続いた大雨は、天の川をはさんだ慕情だけでなく、昨日までの人の営みも、家族や友人らとの分かちがたい結びつきも断ち切ってしまった。

気象レーダーの映し出す長大な雨雲の下には、氾濫した河川に漬かる街があり、土砂に埋まる家屋があります。
連絡のつかない家族らを案じ、不安を募らせる人も多いでしょう。
拭いきれない涙が被災地で流されたことを思うと・・・。





2018年 7月 5日


雨が降り続いていますね。
昨日は大工集団 欅の定休日で、朝から出かけていました。
午後になって友人の何人かからスマホに電話があり、この様な内容でした。
「出かけてる場合じゃないぞ。お前の住んでる吉野に避難注意報が出てる」
というものでした。
『そりゃー大変だ』とは思ったのですが、用事が残っており・・・。
おっとり刀で夕方に帰ってみると、心配した山裾の川の氾濫もなく、ホッとしました。

夜のテレビのニュースを見ると、西日本の雨は記録的豪雨だそうで、被害が多く出ています。
雨は七夕の7日まで降り続くそうですから、皆さんもご注意ください。




2018年 7月 4日


『こんな人が日本の首相だったのか』と思われることはありませんか。
鳩山由紀夫さん、菅直人さんは言うに及ばず、福田康夫さんや小泉純一郎さんにも首をかしげます。

福田康夫さんは6月24日に(中国江蘇省の)南京大虐殺記念館を訪問されました。
『今更何故?』と思った人も多いでしょう。
ところが福田さんは昨日、恥の上塗りをしました。
「展示内容の修正を評価する」「鳩山元首相のときとは展示物違う」と言い訳のコメントを発表したのです。
そのコメントの全文を読むと『この人は日本人ではなくて、中国人なのでは?』と思ってしまう内容でした。
こんな人に日本の舵取りを任せていたのかとし思うと・・・。

小泉純一郎さんもおかしい。
この人は今、反原発の先頭に立っています。

原発は本当に悪なのでしょうか。
「日本は単純計算で太陽光だけで原発27基分を出しており、原発ゼロでも自然エネルギーだけで十分にやっていける」という小泉さんの主張は壮大な間違いであると指摘したい。
小泉さんの主張は、日本の太陽光発電は平成26年度末で2688万キロワット、1基100万キロワットの原発に置きかえれば約27基分との計算から生まれたものだそうです。
同じ論法で計算すれば28年度末での太陽光発電は原発43基分にもなります。

しかし、それはkW(キロワット)の数字なのです。
つまり、性能上の発電能力の数字だけを見たもので、実際に発電した時間を乗じたkWh(キロワットアワー)の数字を見なければ実態はわかりません。
kWで示された性能上の能力は晴天時の瞬間的な出力を示します。
太陽が強く輝くのは1日の内6時間、24時間の25%です。
しかし雨の日、曇りの日、雪の日、台風の日もあり、25%の半分、13%ほどの時間しか発電できないのが現状なのです。
実際の太陽光発電の稼働率は13%前後にとどまるのです。
反原発ならば残りは火力発電に頼るしかない。

今年2月の豪雪時、首都圏は大停電の一歩手前までいったそうです。
大停電になれば数時間で病院の非常用電源がとまり、生命維持装置、手術室、保育器も機能を停止し、命にかかわる事故が多発していた危険性があったのです。
再生エネルギーだけで十分という小泉さんの主張に忠実に従ってエネルギー政策を構築する場合、多くの人命が失われる大停電が避けられないでしょうね。
稼働率13%ほどの太陽光発電の場合、残り90%弱をどう補うのかが切実な問題なのです。

東日本大震災のあと、日本は石炭・ガス・石油などの化石燃料への依存を急速に高め、化石燃料のエネルギー全体に占める比率は世界で最も高い84%に達しています。
国際非難を浴びながら二酸化炭素(CO2)削減など全く置き去りにして、ようやくしのいでいるのが現状なのです。
こうした事情を小泉さんは理解していない。
影響力の大きい元首相の反科学的で間違った言説は、無責任の極みです。

人口減少に直面する資源小国日本はあらゆる面で賢くなり、実力を出し切れる国に成長しなければならない。
それは科学立国の道しかないではありませんか。

6月14日、東京電力ホールディングスの小早川社長が福島第2原発(F2)の全4基廃炉の検討に入ると表明しました。
内堀福島県知事は「全基廃炉は県民の強い思い」と強調し、「朝日新聞」は東電の決定は遅かったと批判した。
すでに廃炉作業が始まっている福島第1原発(F1)の悲劇を考えれば多くの県民も同様に考えるのは自然でしょう。

しかし、本当にそれで良いのでしょうか。
冷静にF2について考えてほしい。
4基の原子炉を擁するF2は1000年に1度の大地震と大津波を生き残った立派な原発です。
津波で全ての非常用炉心冷却系が使用不能になった危機の中、所長の増田尚宏氏、技術責任者の川村慎一氏以下所員、下請け会社の職員400人が力を合わせました。
余震の続く中、闇の中で200人が肩に食い込む重いケーブルを9キロにわたって敷設した。
水没した海水ポンプモーターの代替機を東芝の三重工場から自衛隊機で運び、柏崎原発からも陸送し、交換した。
F2はこうして生き残った。
その見事な事故収束対応は、米国の原発事故対応行動に模範的対応として明記され、世界で絶賛されました。
にもかかわらずF2は廃炉になるのです。

東日本大震災後、報道がF1の悲劇に集中したのは当然ですが、何年過ぎても日本のメディアはF2の成功を報じません。
ここにもマスコミの問題があります。
マスコミは『報道しない自由』を言いますが、それによって国民は間違った判断をしてしまうのです。

想像をはるかに超える大災害の中で、原発を制御した成功事例を日本人は大切にしない。
成功に学ばず、失敗に屈服しているだけです。
それでは前進はない。

内堀福島県知事は風評被害を強調します。
確かに福島には異様な光景があります。
約1千基の汚染水タンクもそのひとつです。
増え続ける汚染水のため、東電は山を削り、タンクを設置し続けています。

でも、実は汚染水処理の方式は世界で確立されているのです。
日本は何故、その確立されている汚染水処理の方式を実行しないのでしょうか。
セシウムなどの放射性物質を取り除くと、トリチウムだけが残ります。
天然に存在するトリチウムは外部被曝がほとんどなく、水と同じ性質であるため、生体内にも濃縮されない。
そのため、トリチウムを十分に薄めて海に流すことが認められているのです。
全世界の原発で、海洋にいまこの瞬間にも放出している。

原発企業に非科学的な要求をする原子力規制委員会でさえ、希釈して海に放出するのが適切だと指摘しているではありませんか。
それでも、東電は放出しない。
地元の漁業協同組合などが風評被害を恐れ、拒むからです。

かくしてタンクは増え続ける。
一面に広がるタンクの群れは、福島の汚染を印象づけ、それこそ風評被害の土壌となっている。
漁協をはじめ関係者全員が、もっと科学の視点を持つことでより良い選択が可能になるのに・・・。

小泉さん、小沢一郎さん、朝日新聞などは反原発で団結するが、大事なことはイデオロギーや政局ではありません。
科学の視点で考えることなのです。
国家の基盤をなすエネルギー政策を科学の視点で構築できるか否か、このまま国力を失うか否かの岐路に、今わが国は立っています。

政治家に科学者の知識はありません。
原発には科学者の知識が必要なのです。
科学者から方法を学びましょう。

先月の新潟県知事選挙では小泉さんは共産党も支持する候補にエールを送った。
7月15日には自由党の小沢一郎代表が塾長を務める政治塾での講演を、自ら買って出たそうです。
全てに反原発ファーストである小泉さん。
この様な節操のない人に科学者の知識は耳に念仏なのでしょうね。





2018年 7月 3日


今日は現在のチェコ出身のドイツ語作家フランツ・カフカ(Franz Kafka,)の誕生日です。

私はフランツ・カフカという作家には奇妙な関心があります。


(写真はWikipediaより)

カフカのプロフィル
1883年7月3日生まれ、1924年6月3日没。
オーストリア=ハンガリー帝国領当時のプラハで、ユダヤ人の家庭に生まれる。
プラハ大学で哲学や法学を学び、卒業後は40歳で病没するまで「労働災害保険協会」に勤めながら、創作活動を続けた。
生前は『変身』など数冊が刊行されただけだが、死後、友人のマックス・ブロートによって未完の長編『審判』『城』『アメリカ』などの遺稿が発表されると世界的な再評価を受け、実存主義文学の旗手と称された。

私がカフカに関心がある理由は、生前には『変身』など数冊が刊行されただなのに、死後になってから友人のマックス・ブロートによって未完の長編『審判』『城』『アメリカ』などの遺稿が発表されると世界的な再評価を受け、実存主義文学の旗手と称されているからなのでしょうが・・・。
しかもその長編の3編はいずれも未完なのです。
なのに、人々に読まれているのは何故なのでしょう。

カフカ自身は自分の死後、原稿はすべて焼き捨てるようにとの遺言を友人のマックス・ブロートに託していました。
ところが、世界の損失ともいえるそんな遺言が実行されることはありませんでした。
私たちがいまカフカの作品を読めるのも、ブロートのこの偉大なる裏切りのおかげなのです。
ただ、編集の大半も彼が手がけた結果、いわゆる“ブロート問題”と呼ばれるものが起こりました。
これはブロートの視点で微妙な取捨選択を含めたアレンジがなされたというものです。
ブロートは敬虔なユダヤ教徒でしたから「神の恩寵による救済」という絶対的な思想でカフカの世界をとらえたわけですね。

『城』はきわめて神秘的な物語です。
城がそびえている雪深い村にさまよい込む「K」という男が主人公です。
彼は宿に泊めてもらうため、城から任命された測量士だとでまかせを言いますが、宿の方は怪しいとにらみ、城に確認を取ると「その通り、城が頼んだ測量士だ」と、本人でさえ思いもしなかった回答が返ってきたのです。
こうして、彼は一方的に与えられた“現実”を生きていかなければならなくなるわけです。
現代ならさしずめ、パスポートも持たずに未知の国に迷い込んだようなものかもしれませんね。
そんな状況のなかでも、Kは今度は城の当局の人間に会おうと自ら望んで城に戦いを挑もうとします。

つまり、彼は攻撃者だったのだ。
しかも、彼だけが自分のために戦っていただけではなく、あきらかに彼以外のいろいろな力も、彼の戦いを助けてくれたのだった。

Kが伯爵府のある役所と交渉するため、城に出向いていく決意が語られる印象的な場面の一節。
ところが、つねに城の尖塔を遠巻きに眺めながらも、どこまで行っても目的地に到達できない。
際限なく絶望的なこの状況はまさに、“人間的葛藤の迷路”といっても過言ではありません。

ところで、未完に終わったこの作品の最終章はどんなものだったのか。
私が持っている昭和28年発行のいわゆる“ブロート版”(新潮社)には、彼が生前のカフカから語り聞いた構想としてこんな断章が収録されています。
それによると、Kは最後の場面では戦いに疲れ果て、すでに死の床に横たわっている。
そこに城からの使者が現れ、ついに村に住む許可が与えられるというものでした。
まさに「神の恩寵による救済」です。
これがブロートの解釈なのですが、一方で実存主義の立場から、Kは最後まで神を受け入れなかったという「無神論」の姿勢を支持する評者もいます。

いずれにせよ、城は巨大な権力であり、不条理の象徴として描かれます。
その典型が「クラム」という上級役人の存在でしょう。
彼は恐るべき官僚として町で取り交わされる噂話にも頻繁に登場し、若い女たちもみな人身御供のようになっていますが、不思議なことに彼の姿を見た人間はほとんどいない。
このため、住民の意識のなかでクラムの幻想だけが怪物のように増殖し、実際、このような会話が取り交わされます。

クラムは、村にやってくるときと村から出ていくときとでは、まるでちがって見えるそうです。
ビールを飲むまえと飲んでからとではちがうし、(中略)お城にいるときは、がらりと別人のように見えるということです。

面白いですね。
でも、じつはこうしたことはカフカが生きた19世紀のプラハならずとも、現代社会にも十分あてはまります。
たとえば私たちは“国家システム”を漠然と理解した気になっていますが、よく考えてみれば、そんなものはどこにも存在しない。
新政権の発足時には「脱官僚」という言葉を耳にしない日はありませんね。
でも「官僚」というものを、私たちはいったいどこで目にしているのでしょう。
霞が関ですか。
いや、霞が関そのものが抽象的な存在なのかもしれません。

極めて幻想的な物語ですが、一方で服装や部屋の内装にいたるまで日常の細部が徹底的に描かれるため、読む側はその裂け目で奇妙な緊張感を強いられることになります。
現代の神話というにふさわしい作品です。




2018年 7月 2日


昨日は氷室でしたね。

氷室には石川県では氷室饅頭を食べます。
毎年7月1日の初夏に食べられる縁起物の菓子です。

毎年、氷室饅頭を送ってくれる友人がいます。
昨日も宅急便で届きました。
実をいうと、氷室を忘れていました。


この氷室饅頭を見て『ああ、氷室か。今年も半分終わったなー。』と気づきました。

氷室といえば夏の行事ですが、暦の上の夏は立夏から立秋の前日までで、今年は5月5日から8月7日になります。

でも、気象庁の夏は違うのです。
気象庁の気候学上の夏は6・7・8月です。
これが一番わかりやすい。

では旧暦の夏はどうだったでしょうか。
旧暦の4・5・6月、つまり、卯月(うづき)・皐月(さつき)・水無月(みなづき)が夏でした。
現代の日付にすると、今年は5月15日から8月10日になります。

私の夏の感覚は『梅雨明けからお盆の8月15日まで』ですね。





2018年 7月 1日


今日から7月ですね。
2018年はもう半分過ぎてしまいました。
つい先日お雑煮を食べていたように思うのですが・・・。

関東では6月なのに梅雨明け宣言がありましたが、北陸は未だのようです。
今日も暑いですね。
お客様によれば、大工集団 欅の国道157号線に設置してある温度計が36℃だったそうです。
聞かなければ良かった、36℃と聞いただけで気力が失せました。

梅雨明けは未だですが、今日から7月です。
喫茶大工集団 欅では今日からボサノヴァ(ボッサ・ノヴァ)をかけています。
暑い夏にボサノヴァは合っているのではないでしょうか。


ボサノヴァのきっかけは1958年にアントニオ・カルロス・ジョビン作曲、ヴィニシウス・ジ・モラエス作詞、ジョアン・ジルベルト歌・ギターによる“Chega de Saudade”(邦題:想いあふれて)のシングルレコードによってでした。
ただしこの時点ではボサノヴァという呼び名はまだ生まれていなかったそうです。

喫茶大工集団 欅でボサノヴァを流していると「コレもジャズなんですか?」と聞かれました。
イエイエ、ジャズではありません。
そもそもボサノバはジャズなのか?と疑問を持たれるのは、多くのジャズミュージシャンがボサノバの代表曲である「イパネマの娘」「コルコヴァード」などを演奏しているからでしょう。
例えばオスカー・ピーターソンの代表的なアルバム「プリーズ・リクエスト」にはこの2曲が収録されています。
日本ではジャムセッションのスタンダードナンバーとしてボサノヴァの曲が定着している関係で、ジャズだと思われている方も多いようですが、ボサノヴァはブラジルのサンバの一種というのが正解です。
ジャズはアメリカで生まれ、ボサノヴァはブラジルで生まれたわけで、出生が違いますから、ボサノヴァはジャズではないと言い切れます。

大工集団 欅のNASに入っているボサノヴァのアルバムを数えてみたら107枚ありました。

ボサノヴァの曲の中でスタンダードとなっている曲を以下にご紹介しましょう。
 イパネマの娘 (Garota de Ipanema)
 リカード・ボサノヴァ (Recado)
 カーニバルの朝 (Manhã de Carnaval)
 マシュ・ケ・ナダ (Mas que Nada)
 おいしい水 (Água de beber)
 サンバ・ヂ・ウマ・ノタ・ソ / ワン・ノート・サンバ (Samba de Uma Nota Só)
 想いあふれて (Chega de Saudade)
 ア・フェリシダーヂ (A Felicidade)
 メディテーション (Meditação)
 デサフィナード (Desafinado)
 ウェーブ (Wave)
 ジンジ (Dindi)

ボサノヴァのミュージシャン、歌手をご紹介します。
まずブラジル出身者では
 アントニオ・カルロス・ジョビン (Antônio Carlos Jobim)
 ナラ・レオン (Nara Leão)
 アグスティン・ペレイラ (Agustin Pereyra)
 ボグダン (Bogdan Plech)
 ヴィニシウス・ヂ・モライス (Vinicius de Moraes)
 カルロス・リラ (Carlos Lyra)
 ジョアン・ジルベルト (João Gilberto)
 ジョアン・ドナート (João Donato)
1966年に発表した「Sergio Mendes & Brasil '66」とその中に収められた「Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ」で日本でも人気の、
 セルジオ・メンデス (Sérgio Mendes)
彼は、2016年3月にあった福島復興支援コンサートにも来日してくれましたね。

ジャズマンでは
 ハービー・マン(Herbie Mann)がまず浮かびます
 スタン・ゲッツ(Stan Getz)
 クインシー・ジョーンズ
 ハービー・マン (Herbie Mann)
 キャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley)
ジャズマンではありませんが、日本のオリコン洋楽シングルチャートで1976年に8週連続1位を獲得した「恋は盲目」を歌った
 ジャニス・イアン(Janis Ian)
この曲はTBSのドラマ『グッドバイ・ママ』に使われたこともあって、皆さんご存じですよね(50歳以上の方には)。

日本でボサノヴァと言えば
 長谷川きよし
 丸山圭子
 大橋純子
 小野リサ
でしょうかね。

喫茶大工集団 欅にボサノヴァを聴きにご来店ください。






長い間ご無沙汰いたしました。

2018年 6月 30日


長い間ご無沙汰いたしておりました。
書きたいことは日々多くあったのですが、とにかく忙しかったのです。
4月に『洋菓子 Keyaki』の建物が完成し、すぐに松任にできた『道の駅 めぐみ白山』に出荷が始まりました。
それ以来、家内と二人で寝る間もなく働いていました。
いやいや、本当なのです。
夜中の3時まで働いていたのですから。

ここに来てようやく少し時間ができるようになりました。

書きたいことは本当に多くあったのですが・・・。
例えば『洋菓子 Keyaki』のオープンのこと、『道の駅 めぐみ白山』に出荷し始めたこと。
子ヤギの成長したこと、HAB北陸朝日放送が大工集団 欅を取材してくれたこと、etc.etc.
3ヶ月もお休みしていたのですからね。

その間には何人ものお客様から「ずーっとお休みしていますね」と言われました。
申し訳ありませんでした。

久々に書くので話題を何にしようかと迷ったのですが、やはり以前のことを書いてもおもしろくないので昨夜のことを書きます。

昨夜来客があり、家内が庭に出たところ蛍が飛んでいると窓越しに私を呼んだのです。
庭に出てみると、あっちにも、こっちにも蛍が飛んでいました。
そこで一句つくりました。

   庭よりの妻の声する蛍見ゆ

   蛍飛ぶ庭ある家に夜を待つ

家内と良いところに住んでいるねと話しています。

昔、知り合いのお爺ちゃんが私に言ったことを思い浮かべました。
「人は、住むところを愛し、仕事を愛し、妻(夫)を愛したら、幸せになる」というものでした。
ヒョッとして・・・、あの蛍の中にお爺ちゃんがいたのかも。

これからまた書き続けますのでよろしくお願いいたします。