2016年11月4日
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2016年10月30日

時々日本のマスコミの不信を感じます。
今までにも折に触れ書いてきましたが、日本のマスコミは信じられません。

最近ではなぜ『土人』発言だけが報道されるのか不思議です。
私は新聞を3社読んでいますが、沖縄ヘリパッド『反対派』の『無法地帯』を現地レポートしたのは産経新聞だけです。

大新聞、テレビは「土人」発言についてまさに鬼の首でも取ったような騒ぎっようです。
しかし、沖縄県北部、米軍北部訓練場のヘリパッド建設地で実際にはどんなことが起こっているか、ネットを見ている人ならば知っているはずです。
みなさんも是非ネットで見て、読んで下さい。

日本のマスコミには『都合の悪いことは報道しない』という自由があるらしい。
それならば、マスコミではないでしょう。

沖縄は反対派による暴言、暴行、不法侵入が横行する「無法地帯」となっており、機動隊員や防衛省職員に対する口汚い悪罵は日常茶飯事です。
それこそ、「土人」発言どころじゃない。
反対派の発する「お前の嫁さん犯してやる!」「子どもが学校に行けなくなるかもな」「おまえの家も調べれば分かるんだぞ」「家に残してきた嫁と子供は生きているか」のような発言は日常茶飯事です。
マスコミは何故反対派の発言を記事にしないのでしょうか。
日常的にこんな悪罵を浴びる機動隊員たちは、職務とはいえ、たまったもんではないでしょう。
「反対派は挑発して、機動隊員らが失言したり、手を出してくるのを狙っているんです。暴言はまだかわいい方で、水を口に含んで、ピュッと顔にかけることもあります」とネットには書かれています。

『沖縄の不都合な真実』(新潮新書)の著者、篠原章さんによると、「反対派はまるで民兵のように、現地を支配」しているという。
大新聞、テレビはなぜこうした事実を何故一切報じないのでしょうか。

ネットではこんな写真が出ています。



反対派には沖縄県人が少ないと言われていますが、
この様な人達が運動して沖縄を無法地帯にしているのです。




反対派には在日韓国人が多い事はネットでは知られていますが、
新聞やテレビでは一切報道されていません。
どうして日本国内のことなのに、在日韓国人が多いのでしょう。




この人の発言はマスコミには無視されました。




沖縄県民は本当は被害者なのではないでしょうか。
沖縄県民によるこの様な横断幕があることも報道されません。



上の写真は今現在の沖縄の事実です。
まだまだ、もっともっと過激な写真がネットでは出ています。

どうして日本のマスコミはこの様なことを一切報道せず、一人の機動隊員が発した「土人」だけを報道するのでしょうか。


今朝の新聞には
【警察との折衝役の反対派リーダー逮捕 進駐軍VSプロ市民-米軍ヘリパッド移設最終攻防へ】
という記事が産経新聞に載っていました。
でも、他紙には載っていません。
彼等にとって、反対派のリーダーが逮捕されると何か困ることでもあるのでしょうか。

ところで、沖縄県出身のガレッジセールのゴリさんが「反対派の声ばかりマスコミが取り上げるので、目立っている。実は違うんです」とYouTubeで言っています。

https://www.youtube.com/watch?v=r86S7hEyxVU




やはりこの人が問題なのでしょうか。


沖縄県の翁長雄志知事
背を向けているのは中国の李克強(リー・カーチアン)首相
格の違いでしょうか、それとも主従関係?




2016年10月25日

寒くなりましたね。
今日は店も薪ストーブを今期始めて焚いています。


薪は去年の余りがあるのでそれを使っているのですが・・・、もう残りが少なくなって・・・、薪割りをしなければなりません。
先週の土曜日に4パレットだけ持ってきてもらいました。
まだ割っていない去年の残りも4パレットあります。
1年に住まいのストーブに6パレット、店のストーブに4パレットの薪を使います。

家を建てていただくお客様宅に薪ストーブを設置することがあるのですが、薪をどの様に調達しておいでるのでしょうか。
薪らしい薪を買うと、とーんでもない金額になるはずです。
大工集団 欅は建築屋ですから、端材の調達ができるので、薪の心配は無いのですが。
でも、端材ですから薪らしい薪ではありません。

秋になったんですよね。
赤トンボの数も減ってきました。





2016年10月24日

秋になったのは感じるのですが、まだ深まりは感じません。

喫茶大工集団 欅の入口の国道157号線は今日から拡幅工事のため、片側交互通行になっています。
説明を受けていないので、いつまでなのかも分からないのですが、雪が降るまでには終わると思います。


国道から入って頂くときは少し待ち時間があるかも知れません。
ご来店の節はご注意ください。

また、お帰りの際には国道へ出るときにご注意ください。




2016年10月17日

今日はヤギを店の向かいの川沿いに繋ぎました。
この時期になると草が少なくなり、特に彼等の好きな葉の広い草は無くなります。

しばらくして弥生と皐月を見ると・・・、2頭とも同じ1点を凝視しています。


どうしたのだろうと彼女たちの視線をたどると・・・、ナーント、カモシカが川の中にいました。


時々、裏山で見かけるマツコと名を付けたカモシカでした。
「風邪をひくから早く川から上がりな」と、言ったのですが、よーく見ると右の前足がおかしい、折れているようでした。

白山自然保護センターへ電話をして、保護してくれるように頼みました。
ところが、車で10分位なのに1時間以上立っても来てくれません。
マツコは下へ下へと流れてゆきます。
もう一度、電話をすると、市役所へ連絡したとのこと。
その間、私達はどうすることも出来なくて、家内が話しかけているだけでした。


2時間ほど経って、市役所の人達が来てくれました。
どうにか川からあげて、ゲージに入れ、治療をするために動物園へ連れて行くことになりました。
ホッ


今日あったハプニングでした。




2016年10月17日

13日のエスニック・ジヨークはお客様にうけたようです。

今日書くのはエスニックジョークではなく、私が聞いた本当にあったお話です。
北欧の国から来た留学生が話してくれたお話しです。

彼は日本に来る前から日本人は勤勉だと聞いていた。
日本に来て街を歩いていたら、とてもうるさい事務所があった。
その入り口がガラス張りだったのでのぞいてみた。
そこには機械が整然と並び、それぞれの機械の前の椅子に座った人が、じっと機械を見て操作をしていた。
『なんて勤勉な労働者たちなんだろう。やっぱり日本人は勤勉だ。』
彼は感心したそうです。
その後、その事務所がパチンコ屋であるのを知ったそうです。

これ、ジョークではありません。




2016年10月15日

寒くなりましたね。
昨夜の吉野は冷え込んだので、今期初めて薪ストーブに火を入れました。
ちょうど前日の木曜日にストーブ屋さんに煙突とストーブを清掃してもらったばかりでした。


秋になったんですね。
秋と言えば紅葉ですよね。
白山白川郷ホワイトロード(旧 白山スーパー林道)の紅葉情報は下記のページです。

http://www.gifu-shinrin.or.jp/rindo/koyo/

三方岩岳付近では見ごろとなっているようです。
紅葉狩りのお帰りには『喫茶大工集団 欅』へお寄りください。




2016年10月13日

愛を語るならフランス語。
文学を語るなら英語。
宗教を語るならドイツ語。
農業を語るならロシア語。
とはよく言われますが、『エスニック・ジョーク』をご存じでしょうか。
民族性や国民性を端的に表すような話によって相手の笑いを誘うジョークのことです。
笑わされますよね。
思い出しながら少し書いてみます。


ここはモスクワの街角。
いつものように、パン屋の前には人が並んで行列ができている。
それを見た外国の使節団が一言。
中国人 「物を買うのに列に並ぶなんて、ロシア人はなんて律儀なのだろう」
日本人 「物を買うのに列に並ぶなんて、よほど有名なパン屋さんなのだろう」
韓国人 「物を買うのに列に並ばせるなんて、謝罪の要求が殺到するだろう」
北朝鮮人「列に並びさえすれば物を買えるなんて、なんて素晴らしいんだろう」


ある日どの国の将軍が一番優れているかという談義があった。
フランス人は、
「ナポレオンこそ最高の将軍である」と言った。
日本人は神妙な顔をして頷いた。
ドイツ人は、
「いや、ヒトラー元帥こそ、最大の指導者であった」と言った。
日本人は神妙な顔をして頷いた。
ロシア人は、
「いや、我が国の将軍こそが最強である」と言った。
日本人は神妙な顔をして頷いた。
フランス人が日本人に訊ねた。
「ロシアの最強の将軍とは誰か?」
「え? 冬将軍じゃないの?」


ドイツ人と日本人とイギリス人と韓国人で食事に行きました。
食後、
ドイツ人は割り勘にするといくらか考えました。
日本人は3人分払うといくらか考えました。
イギリス人はおごってくれた人になんと礼を言うか考えました。
韓国人はすぐにトイレに行こうと考えました。


ある大金持ちがブルーの馬を見つけてきたら、莫大な賞金を出そうといった。
それを聞いた各国の代表の行動。
イギリス人
青い馬がいそうな未開のところに行くべく旅行の準備をはじめる。
ドイツ人 
そんな馬が本当にいるのか博物館や図書館へいって調べる。
スペイン人
賞金をもらった気になって盛んに前祝いをはじめる。
日本人
努力に努力を重ねて品種改良のうえ、青い馬をつくろうとする。
中国人
ペンキ屋に駆け込んで青いペンキを購入する。


中にはウ~ンと唸るようなものもあります。
アメリカでよく知られたエスニック・ジョークに下記のものがあります。

向こうからやってくる東洋人を睨みつけると、
目をそらして距離を取るのが日本人。
ニヤニヤ笑いながら擦り寄ってくるのが中国人。
殴りかかってくるのが韓国人。




2016年10月7日

友達の奥さんが・・・、奥さんも私達夫婦の大切な友達なのですが、肝移植を受けるために入院しました。
今、彼女は24時間を要する手術の真っ最中です。

昨日、家内と二人で見舞いに行きました。
何を話せばいいのか・・・。
言葉が見つからないけど、励ましたい気持ちでいっぱいでした。
何をしてあげられるのか・・・。
私達には何もできないんですよね。
それがまたイライラする原因なのです。

彼女自身はシッカリした人ですから、本当は不安な気持ちでいっぱいだったのでしょうが、いつもと変わらず話をしてくれました。
彼女のお陰で、楽しい話が出来たのを感謝して帰りました。

手術後は3週間も集中治療室に入っているそうです。
3週間後に元気な顔を見るのを楽しみにしています。


I hope the operation be completed successfully.




2016年10月1日

とうとう10月になりましたね。
もうすぐクリスマスです。

冗談はそれくらいにして、住宅の照明もLEDが多くなりましたね。
大工集団 欅でもお客様の住宅に照明プランを作るときはほぼ100%がLEDです。
喫茶大工集団 欅の照明は数年前にはLEDにしました。

我が家もほとんどをLEDにしたのですが、今度リビングの照明もELDにすることになり電球を取り替えました。


リビングには上の写真以外にも照明器具があり、合計21個の電球が使われています。
今までは電球色でした。
今度はその全てを昼白色に替えました。

・・・失敗でした。
私達は電球色に慣れていたせいか、昼光色では落ち着きません。
LEDの電球を透明にしたせいかもしれません。


お客様もLEDには、電球色・昼白色・昼光色があるのをご存じでしょうが、これがメーカーによって少~し色合いが違うんですよね。

私達のようにLEDの色を間違えないように少しご説明します。
LEDを選ぶ際、色の違いで迷うことは少なくありませんよね。
メーカーによって呼称の差はありますが、一般的に「昼光色」、「昼白色」、「電球色」と、大きく3つの色に分けられます。
これらの色の違いは「色温度」で分けられており、色温度は高くなるほど青みがかり、低くなるほどオレンジ色が強くなります。
昼間の太陽光は約5,500K(ケルビン)、朝日や夕日の色温度は約2,000K程度とされています。


一般的に「昼光色」と呼ばれる色は、色温度が約6,500Kで、「クール色」、「フレッシュ色」とも呼ばれ、太陽光より青が強く、すがすがしい爽やかな光、スッキリした印象の光です。

一般的に「昼白色」と呼ばれる色は、色温度が約5,000Kで、「ナチュラル色」、「マイルド色」とも呼ばれ、太陽光に近い色温度の自然な光です。

一般的に「電球色」と呼ばれる色は、色温度が約3,000Kで、「ウォーム色」、「リラックス色」とも呼ばれ、暖かみのある、穏やかな色です。




2016年9月23日

21日に安倍首相の誕生日だったと書いたところ、お客様と安倍首相の話題が続いています。

その中で「安部首相がホテルに残したメモ」に感動した人が多い。
私は旅先・出張先での掃除のおばさんへの気遣いをしたことはなかった。
でも、安倍首相は違っていました。


G20で中国に滞在した安倍首相。
期間中、安倍首相が泊まったのが高級ホテルのシェラトン杭州湿地公園リゾートでした。
首相が帰国した後、1通のメッセージが話題なりました。

 「感謝 平成廿八年九月五日 内閣総理大臣 安倍晋三」

中国版ツイッターの微博では、20万人近くのフォロワーを持つアジア通信社社長の徐静波さんが公表しました。
徐さんが安倍首相が書いたかどうか確認を求め、ほかの筆跡と比較して「本物です」と投稿しました。

安倍首相は、私たちより、もっともっと時間との戦いだと思います。
朝もとても忙しいでしょう。

9月4-6日、G20、杭州サミット出席。
9月7-8日、ASEAN関連首脳会議出席。
9月19-21日、米国訪問。
そして、今日9月23日は、国連総会出席及びキューバ訪問。

今月に入って外国訪問だけでもこれだけあります。
その間にも国内のスケジュールはビッチシです。

そんな中で、ホテルのメモ書き。
とても丁寧だ。

忙しい合間に、いつもそうしておいでるのは、やはり半端な気持ちではないと思います。
感謝の気持ちを日本人はとても大事にしてる。
それを代表して表したいと思っておいでるのでしょうね。
行く先々のホテルの人たちはみんな知ってるのでしょう。

でも、今回これが拡散されて安倍首相自身が、驚いていることでしょう。


第一次安倍政権、辞め方が無様だったとか、今も言われています。
私は違うと思う。
非難を承知で、辞任の挨拶の時は毅然としておいでました。
あの時は限界を超えていたのです。
でも辛い顔して同情を誘う、そのです。
日本の首相が哀れな病人、そんな姿をあの場で見せる訳にはいかなかったのです。

それに思い出して欲しい。
第一次安倍政権が何をしたかを。
 教育基本法の改正
 年金業務・社会保険庁監視等委員会の設置
 公務員制度改革関連法の成立
 自衛隊を防衛省に昇格
これらは歴代の内閣が出来なかったことばかりです。

昨年末の日韓合意を、保守の人でさえ、安倍首相を「売国奴」と非難する人がいます。
確かに日本の兵隊さんを取引の材料にしたのかもしれません、「強制」したと。
その点は私も許せない。
でも、安倍首相はアメリカと取引したのでしょうね。
・・・というかやはり逆らえないのだろうと思います。 

自衛隊の戦闘機も軍艦もアメリカ製で、アメリカがパスワードを変えると動かせなくなると田母神俊雄閣下の著書で何度も読んだ。
世界最強精鋭の自衛隊が動けなくなるんですよ。
とても恐ろしいことだ。
それを思ったら、やはり一方的にNO,は難しいのでしょうね。

とにかく、いま必要な方です。




2016年9月21日

安倍総理 、62回目のお誕生日おめでとうございます!


写真は2015年のものを拝借


『日本人がこの日本に生まれたことに幸せを感じる。そして子供たちが、日本という国に生まれたことに誇りを持てるという日本を創っていく。私は全力を尽くして参ります』

自民党の安倍晋三議員が、自民党総裁選挙で勝利した直後に語った言葉です。
日本の政治が混迷する中で、安倍総理ほど、きちんとした国家感を持つ政治家はいるでしょうか。
そんな安倍総理に対する「売国マスゴミや反日左翼」からの個人攻撃のひどいこと。
まぁね、有名人ですから、あらぬ事を書かれたりもしますよね。
残念です。


私の 基本的な考えは「日本人は日本人。戦前戦後も変わらない。」です。
人間は「善か悪か」で分けられるほど単純な存在だと思いますか?
「好戦的」という言葉がありますが、人間、特に日本人はどちらかというと「厭戦的(戦うことを避ける性向)」ですよね。
それでもやむを得ない状況がある時、人は戦うのです。
もし今、中国や北朝鮮が日本に攻撃をしかけたら、あなたは指をくわえて傍観しますか?

前説が 長くなりました。
こんなお話しをネットで読みました。
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1944年、パプアニューギニアのカウプ村に日本人将校が訪れた時、村人は歓待してくれました。
将校はその御礼に子供達に勉強を教えました。
パプアニューギニアは40年後に独立し、2人は再会しました。

「柴田幸雄中尉は住民への感謝の気持ちと、将来の独立にそなえた教育を志し、酋長の賛同を得て学校をたて、子供たちに数や初歩の日本語、英語の教育を行いつつ、植民地からの独立を説きました。」
「柴田幸雄中尉から"自分達の国を作れ"と教えられた通りにしました」

その教え子のひとり、当時8歳のマイケル・ソマレ少年は、後にパプアニューギニア独立運動に身を投じ、1975年(昭和50年)、独立後初代首相に就任しました。
キャプテン・シバタの教えによって独立することができたと考えたソマレ首相は大使館を通じて、当時宇都宮市で飲食店を営んでいた柴田氏を探しあて、昭和60年、念願の再会を果たしたそうです。

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私は 日本人であることを誇りに思ったことはありますが、日本人であることを恥ずかしく思ったことは一度もありません。

「日本=悪論」のなんと薄っぺらなことか。
なぜ日本は世界から好かれるのでしょうか?
それは日本の、私達の先人たちが立派だったからです。
そんなことを何故日本は学校で教えないのでしょうか。

日本だけですよ、自分の国を自虐的に教えているのは。
子ども達は『僕たち、私達は、だめな国の人間なんだ』と教えられているのです。
そんな国に、そんな子ども達に、未来はあるのでしょうか。




2016年9月20日

乗り合いバスに最後に乗ったのはいつだったでしょう。
もう随分昔のことです。
こんな田舎に住んでいると車が足になってしまいます。


私が子ども頃にお袋とバスに乗ったときのことです。
バスに乗った途端に後ろの方から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。
ママは他の人に迷惑だと一生懸命にあやしているのですが泣きやみません。
バスの中は泣き声が充満していました。
するとお袋が「チョット抱かせて」と赤ちゃんをだっこしました。
しばらくあやしていると泣きやんだのです。
『ええーっ、どうして!?』と不思議でした。

そんなことを友人のメールを読んで思い出しました。
そのメールとは、

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昔、イスラムの国で長距離バスに乗ることになった。
乗客に中に乳飲み子を抱えた若い母親とお婆さんが乗って来た。
「あんなに小さいから、絶対に泣かれるだろうな」と私は思った。
バスはほとんど満員だったが、しばらくすると乗っている人(特に男性)が、代わる代わる愛おしそうに、赤ちゃんのお守りをするのでビックリ!
お母さんを見ると、安心しきって皆に赤ちゃんを任せている。
日本では絶対に考えられないことだ。
髭の生えた強面の男性が、いろんな顏をして赤ちゃんをあやしているのは、ちょっとユーモラスでもあった。

そして5時間程の長旅に、赤ちゃんは全く泣かなかった。
皆のお守りで泣く暇もなかったのだろう。
私は頭をぶん殴られた様な気がした。

そのイスラムの国とはトルコのこと。
トルコではどの男性も(若者も)家では子どもの面倒をよく見ているのだろう。
赤ちゃんをあやすテクを沢山持っていたので、そう思った。

そして、乗り物に赤ちゃんが乗って来た時に、「騒がれたら嫌だな」という空気が車内に流れず、赤ちゃんを見て皆が幸せそうな顔になった。
だから、お母さんが全然緊張しなかった。

日本では、その日に出会ったばかりの話したこともない他人の男性に、自分の赤ちゃんを抱かせる母親はいないだろう。
核家族で育った赤ちゃんは、知らない男性に抱かれれば、パニックを起こすかもしれない。

その後トルコで、何回も赤ちゃんと一緒に飛行機やバスに乗ったが、一度も泣き声で困らず、泣き声すら聞いたことがなかった。
この国で子育てをしたら子どもも母親も幸せだろうなって思った。

赤ちゃんは、母親の気持ちを読む天才だ。
乗り物に乗った時、「赤ちゃんが泣かないか……。他の人に文句を言われないか……。」と母親が不安で緊張すれば、肌を通して赤ちゃんも当然不安になる。
ましてや面と向かって文句を言う人がいたら、そのお母さんはパニックに陥るから、赤ちゃんは泣きわめくに決まっている……。

そんな時、「大変ねぇ~」と、周りの人が言ってあげられたら、機内、車内の雰囲気も違うだろう。
言葉にするには勇気がいるのもわかるのだが……。

トルコ旅行後、私は赤ちゃん連れのお母さんに注意を払うようになった。
時には手伝ったりする。
最初はお母さんもビックリする。

そんなお母さんの様子を見ると、お母さんたちがいかに緊張し、構えて子育てをしているのかが伝わって来る。

少しでも、皆がトルコの人々のように子どもに対して接していけば、若い人が安心して子どもを産み育てられる社会になるのではと思った。

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トルコってそんな国なんですね。




2016年9月19日

16日から始まった金沢ジャズストリートは天候に恵まれていませんね。
悔しい思いをしている人も多いと思います。

私達はお店があるので、夜しか出掛けられないのですが、この天気では家でアルバムを聴くよりしょうがありません。
昨夜も雨、雨の日はバラードを聴きました。

じわじわと心にしみるバラード。
アルバムは『恋の行方(「where is love?」』
女性シンガー、アイリーン・クラール(Irene Kral)です。


彼女は1932年1月18日、イリノイ州シカゴ生まれ。
1978年8月15日、乳がんを患い、カリフォルニア州 Encino で死去。
わずか46歳の若さで逝きました。

細やかな感情をこめた、ひっそりとした歌いっぷりから、てっきり彼女はヨーロッパの人だと思いこんでいたのですが、シカゴ生まれとは驚きです。
もっとも、両親はチェコ・スロヴァキア(当時)の人なので、そこらあたりに彼女らしさのルーツがあるのかもしれません。
ちなみに、お兄さんは「ジャッキー&ロイ」のロイ・クラールです。

デビュー以来、いくつかのビッグバンドを渡り歩いたようですが、トランペット奏者ジョー・バーネットとの結婚を機に活動を休止、10年あまりの沈黙の後、ニュージーランド出身のピアニスト、アラン・ブロードベントと組んでカムバックを果たします。
1974年録音のチョイス盤『恋の行方(「where is love?」』は、数少ない彼女のアルバムの中でも最高傑作といわれています。

なにはともあれ、CDのトラックナンバーを「2」にセットしてみましょう。『When I Look In Your Eyes』。
”Kral”と言っても、今や時めく”Diana Krall”ではありません。
同じクラールでも、人気者ダイアナ・クラールが歌って有名になった曲ですが(1999年のアルバム『When I Look In Your Eyes』に収録)、アイリーンのひっそりと語りかけるような歌声を聴いてからダイアナのヴァージョンを聴くと、荒削りな印象を受けます。
どこかなげやりというか、歌詞に没入しきれていないというか。

ピアノだけをバックに、ひと言ひと言、感情をこめて歌うアイリーン。
絶品です。
実は重苦しい雰囲気がたちこめた気の滅入るアルバムなのですが、いったん聴いてしまうと、けっして途中で止めることはできません。
どっぷりと、気の済むまで浸ってしまいます。

ジョニー・マンデルの『A Time For Love - Small World』。
ケイコ・リーも『Beautiful Love』で歌ってましたね。
大好きな曲ですが、この曲のイメージを決めたのは、間違いなくアイリーンのヴォーカルです。

そして、『Never Let Me Go』。
ハッキリ言って、ハマります。
それも深く。
間違いなく社会復帰するのに時間がかかりますから、夜寝る前に、静かな環境でひっそりと聴くことをおすすめします。


有名どころの曲が並んでいるわけではないが、それがなんと郷愁感と安堵感とを呼び起こします。
なんといっても良いのは変な技巧をこらさない自然な語りかけの心が感じられる歌い方は好感持てる源であろう。

近年はジャズ・ヴォーカルと言えば女性天国。
しかもJazzy not Jazz路線がもてはやされているが、この1970年代の彼女の世界は、そんな現在のシンガーのお手本になっているようです。




2016年9月13日

9日に吉田拓郎と中島みゆきがつま恋のコンサートで歌った『永遠の嘘をついてくれ』の「詩の内容を理解していない人がいる」と書いたところ、「ではどの様な詩なのか」とお問い合わせが数件ありましたので、私なりの解釈を書きます。


写真はyansue.exblogより

たぶんもう何十年も会っていない古い友人、語り手の人生にとってかなり重要な存在であるらしい友人が、どうやら遠い異国で病で死にかけている、という状況が歌われています。
友人は「俺」と云ってるから男でしょうが、語り手もおそらく男です(そもそも吉田拓郎に歌わせるのが前提です)。
よく間違われる恋愛の歌ではなく、ある種の男の友情的な歌なのです。
古い友人が死にかけている場所は「ニューヨーク」なのか「上海」なのか分かりません。
たぶんニューヨークでしょう。
「上海の裏町で病んでいる」という「見知らぬ誰かの下手な代筆文字」の手紙が突然舞い込んだが、手紙は「探しには来るなと結」ばれていたわけだし、相手は自分の本当の居場所を伝えてきたわけではない可能性が高い。
語り手の側が、独自に手をつくして探した結果、実はニューヨークにいることが判明したので、冒頭で語り手は友人達に片っぱしから金を借りて、ニューヨークへ飛ぶかどうかと迷っているわけです。

これが“学生運動がらみ”の歌だと分かるのは、2番の冒頭のフレーズからです。
「この国を見限ってやるのは俺のほうだと追われながらほざいた友」と言っている。
これだけでもうピンとこなければならない。
この友人は要するに学生運動上がりの国際テロリストなのです。
たぶん70年代初頭に国内での何らかのテロ事件の容疑者として指名手配されて、国外逃亡したのでしょう。
そして間違いなく友人は国外へ渡った後も革命運動に少なくともしばらくは挺身していた。
そのことを語り手はニュースで知ることができていただろう。
ところが友人は消息不明となる。
生きてるいるのか死んでいるのかも分からないという長い期間があり、最近になって突然、死にかけているという手紙が本人から届いた、・・・というわけです。

「見知らぬ誰かの下手な代筆文字」なのは、日本の公安当局の監視を警戒してのことでしょう。
語り手は若い頃、学生時代に新左翼運動に関わった時期があり、しかし短期間で運動を離れて、普通に就職して、そうした運動体験は過去のものとして、平凡な一市民としての人生を送ってきた人間なのです。
もちろん死にかけている友人との関係は、“同志”的なものだったでしょう。
印象としては、党派の同志というよりも、“何々大学全共闘”とかの同志で、闘争が後退する過程で友人はテロ路線に走って地下に潜り、語り手は運動を離れた、という雰囲気です。

史実にムリヤリ当てはめると、例えば友人は赤軍派に加盟し、弾圧され追いつめられてアラブへ渡ったとか、東アジア反日武装戦線の爆弾闘争に身を投じて逮捕されたが、日本赤軍のハイジャック闘争によって“超法規的措置”で獄中から奪還され国外へ出た・・・みたいなことでしょう。
もちろん歌詞の内容はあくまでフィクションなわけで、おおよそそんな感じのことという意味で私はこれを書いています。

要するに語り手は“日和って”運動から脱落したわけですが、今も世界のどこかで闘っているはずの友人の存在が、いつも語り手の人生において影のようなものとして意識され、負い目の対象であったり、挫折した自分の代わりに“志”を貫いてくれている救いであったりしたのでしょう。

もちろん、いつしか消息が途絶えて以降は、友人が引き続き革命を目指して闘い続けているのかどうか、そもそもその生死すらも分からない状況となっていた。
語り手は、今も闘い続けていてほしいと願ってきたが、一方で、彼が今もどこかで生きてはいるとしても、すでに革命への希望を失って、自分の闘いはすべてムダだったと、敗残者として抜け殻のような余生を送っているのかもしれないという不安も常に抱いていたはずです。

そこへ突然の手紙である。
現時点では、まだ生きていたということだけが分かり、消息が途絶えて以降の友人がどのような人生を歩んだのかは不明です。
闘い続けていたのか、すでに負け犬と化していたのか、まだ分からない。
語り手は、答えを知るのが怖いという気持ちを持っている。
たぶん友人もどこかの時点でとうに挫折していたのではないかと薄々思っている。

「永遠の嘘をついてくれ」というのは、「ずっと闘っていたし、今でも闘っていると言ってくれ」というの意なのです。
「まだ旅の途中だ」と云ってくれというのは、「我々の革命はまだ途上である」つまり「まだ革命をあきらめてはいない」と言ってくれの意です。
「嘘をついてくれ」と云っているのだから、そのように「強がってみせてくれ」ということです。
「永遠のさよならの代わりに」、つまり友人はもう死ぬわけだが、最後までその「嘘」をつきとおしてくれと。

「やりきれない事実」というのは、友人もとうの昔に挫折して、異国でただ無意味な余生をいつしか送るようになっていたという事実です。
友人もそのような姿を語り手にさらすことを恥じ、ずっと闘っていたし今も闘っているという「永遠の嘘をつきたくて」、「探しには来るな」と書き添えたのです。

世間はこういう、大それた夢を描いてどこぞへ飛び出していったような連中の悲惨な末路を見たいのです。
「オレが間違っていた。革命なんて幻想だった」と言わせて安心したいのです。
「みな」が「望む答え」とはそういう答えであり、語り手はそのような答えを引き出そうとつきまとってくる連中を「風のようにあざやかに振り払え」と言っているのです。

「一度は夢を見せてくれた君」が見せてくれた「夢」とは、テルアビブ空港事件とか、三菱重工爆破とか、そのての何かであるはずです。
「出会わなければよかった人」というのは、友人をそのような道へと誘い込んだ誰かでしょうが、「出会わなければよかった人などないと笑ってくれ」というのはもちろん、「自分の人生は結果としてこのような形になったが、決して後悔などしていない」と言ってくれ、ということなのです。

私はべつに自分が読みたいように勝手な読み方をしているわけではありません。
この曲の歌詞はおおよそこのようにしか解釈のしようがないものです。

恋愛の歌ではないのに、恋愛を想像させる歌なのです。

それにしても、吉田拓郎が曲を作れなくなったときに、「永遠の嘘をついてくれ」のメッセージを込めたこの曲を作って贈るなんて、中島みゆきという人はスゴイ。

『二艘の舟』もおおよそ似たようなテーマの、もっと抽象化された歌ですね。

今日は随分と長く書いてしまいました。




2016年9月9日

2006年9月23日、土曜日、秋分の日に行われた『つま恋コンサート』。
10年も経った今になってビデオを見ました。

吉田拓郎
彼は私達の年代のスーパースターでした。
当時の私は既にジャズにはまっていて、フォークソングは聴きませんでしたが、友人宅ではよく拓郎を聴かされたものです。
  旅の宿
  夏休み
  我が良き友よ
  今日までそして明日から
  結婚しようよ
  人間なんて
 etc.
フォークソングをよく知らない私でさえも、こんなに彼の曲を知っています。

中島みゆき
私の好きな札幌市出身のシンガーソングライターです。
 時代
 悪女
 空と君のあいだに / ファイト!
 二艘の舟
 地上の星 / ヘッドライト・テールライト
 etc.
どれも心に迫る曲です。


写真はyansue.exblogより

歌は最低限「 歌詞 + 曲 」で成り立つので、歌詞である詩だけを取り出して議論するのは本来の姿ではないとは思うのですが、中島みゆきさんの曲を聴くと、どうしても詩を取り上げたくなります。

確かに、曲として歌われる「詞」の言葉だけに注目し「詩」として鑑賞したり、コメントしたりすることの妥当性が問題になるでしょう。
それはあまり意味がないという意見もあると思います。
しかし、こと中島作品に限って言うと、彼女はそのキャリアの初期から「私は言葉を大変重要視する」と暗黙に宣言していると思うのです。
その点が「詩」として鑑賞する大きな「よりどころ」です。
その中島さんの「言葉の重視宣言」とでも言うべきものを以下にあげてみます。

みなさんもよく知っておいでる、大ヒットになった『地上の星』の詩もイイですよね。

『地上の星』
  風の中のすばる
  砂の中の銀河
  みんな何処へ行った 見送られることもなく

  草原のペガサス
  街角のヴィーナス
  みんな何処へ行った 見守られることもなく

  地上にある星を誰も覚えていない
  人は空ばかり見てる
  つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
  つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう

この曲より私が好きな中島みゆきの詩は 『永遠の嘘をついてくれ』です。

『永遠の嘘をついてくれ』
  ニューヨークは粉雪の中らしい
  成田からの便はまだまにあうだろうか
  片っぱしから友達に借りまくれば
  けっして行けない場所でもないだろうニューヨークぐらい
  なのに永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている
  永遠の嘘を聞きたくて 今はまだ二人とも旅の途中だと
  君よ永遠の嘘をついてくれ
  いつまでもたねあかしをしないでくれ
  永遠の嘘をついてくれ
  なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ

  この国を見限ってやるのは俺のほうだと
  追われながらほざいた友からの手紙には
  上海の裏町で病んでいると
  見知らぬ誰かの下手な代筆文字
  なのに永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる
  永遠の嘘をつきたくて 今はまだ僕たちは旅の途中だと
  君よ永遠の嘘をついてくれ
  いつまでもたねあかしをしないでくれ
  永遠の嘘をついてくれ
  一度は夢を見せてくれた君じゃないか

  傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
  放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
  嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
  やりきれない事実のかわりに
  たとえくり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに
  人はみな 望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
  君よ永遠の嘘をついてくれ
  いつまでもたねあかしをしないでくれ
  永遠の嘘をついてくれ
  出会わなければよかった人などないと笑ってくれ

  君よ永遠の嘘をついてくれ
  いつまでもたねあかしをしないでくれ
  永遠の嘘をついてくれ
  出会わなければよかった人などないと笑ってくれ

いつもながら見事な詩の表現です。
とくに
「人はみな 望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまうものだから/君よ永遠の嘘をついてくれ/いつまでもたねあかしをしないでくれ/永遠の嘘をついてくれ/出会わなければよかった人などないと笑ってくれ」
・・・胸に沁み入るセリフです。

吉田拓郎の、というより中島みゆきの『永遠の嘘をついてくれ』は、佳曲と名曲しかない中島みゆきの90年代の大傑作でしょう。

『永遠の嘘をついてくれ』は、色恋を超えて「あなたは私のヒーロー、私の人生に必要な人」とのメッセージを感じ、お互いを認め合う女と男のプラトニックで、そして真にセクシーな恋愛を感じます。

吉田拓郎に提供することを前提に作られた、まるで拓郎が作ったような歌詞とメロディでありながら、それでいて中島みゆきの曲以外の何物でもないという、傑作です。
中島みゆきはわざと字余りの詩を書いたのでしょうね、拓郎が作った詩のようにするために。

しかし、私と同世代ぐらいの人でも(この曲をすごく好きな人であっても)歌詞の意味をちゃんと理解していない人が多いようです。
『永遠の嘘をついてくれ』は、簡単に云えば、要するに、明白に、“学生運動ソング”なのです。
聴く人が聴けばもう反射的にそのことに気づくはずです。


さて、文頭に書いた2006年に行われた『つま恋コンサート』のビデオなのですが、吉田拓郎とかぐや姫によるコンサートで、中島みゆきが吉田拓郎のサプライズ・ゲストとして登場、かって吉田拓郎のために書いた曲『永遠の嘘をついてくれ』を二人で歌っていました。

中島みゆきはデビュー前、吉田拓郎から大きな音楽的影響を受けており、吉田拓郎の追っかけファンをしながらミュージシャンになることを夢見ていたそうです。

そして、押しも押されぬシンガー&ソングライターになった中島みゆきは、吉田拓郎が新曲を思うように作れず、スランプに落ち込み、音楽を止めようとしていることを知り、彼女にとってヒーローの吉田拓郎にミュージシャンを止めないで欲しいとのメッセージを込めて自作の『永遠の嘘をついてくれ』を彼に贈ったのだそうです。

『永遠の嘘をついてくれ』は、色恋を超えて「あなたは私のヒーロー、私の人生に必要な人」とのメッセージを感じ、お互いを認め合う女と男のプラトニックで、そして真にセクシーな恋愛を感じます、・・・と書いたらお二人には迷惑でしょうね。
中島みゆきは、摩訶不思議な女性です。

日本を代表する女性シンガー&ソングライターなのに、4コードくらいの曲しか作れない、それもなかなかできない、歌詞が憶えられない、緊張するからコンサートはあまりしたくないと素直に自分の気持ちを人に言う正直な女性です。
そして、深夜放送のラジオ(オールナイトにっぽん)でのアッケラカンとした口調で冗談話を「ガッハハハッ、ダッハッハッハ」と豪快に笑い飛ばすおしゃべりな女性とが、中島みゆきの中で同居しています。

上に「聴く人が聴けばもう反射的にそのことに気づくはずです。」と書きましたが、もう50年ほど前の学生運動華やかなりし頃のを知っている人達らは理解出来る詩ですよね。

それにしても中島みゆきは作詞の天才ですね。
男女の恋愛の歌に聞こえるようにわざと作ってありますが、違うんですよね。
これは凄いテクニックですよ。




2016年9月4日

昨夜、探したい物がありYahooのオークションをのぞきました。
それがJBLの商品だったのでJBLで検索しました。
『注目のオークション』という
ページがあり、パラゴンの写真があったのでポチッとクリック。

そして私はとんでもないページを見てしまったのです。
そのページの終了はこんなのになりました。


私もJBLパラゴンを使っているのですが・・・。
この落札金額なら、売ってもイイかなー・・・?




2016年9月1日

暑かった8月も終わりましたね。
今年の夏は特に湿気があったように思います。
蒸し暑かったですよね。
網戸をして開けてあった窓も、夜になると閉めるようになりました。
タオルケットも夏布団になりました。

今年の夏は川北の花火に行けなかった。
バーベキューの回数も少なかった。
海にも山へも行けなかった。
キャンプも出来なかった。

何もしなかったけど、夏は終わりました。

今日から9月、9月になると急に『秋』になったと思ってしまうのです。

秋と言えば食欲ですよね。
・・・・・・?
今、ふと不思議なことに気づきました。

『秋の七草』は萩(はぎ)、 尾花(おばな=すすき)、葛(くず)、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、桔梗(ききょう)ですよね。

『春の七草』は御形(ごぎょう)、仏の座(ほとけのざ)、繁縷(はこべら)、薺(なずな)、芹(せり)、蘿蔔(すずしろ=大根(だいこん))、菘(すずな=かぶ(蕪))、ですよね。

『春の七草』は全て食べられるのに、食欲の『秋の七草』は全て食べられません。
どうしてこの様なことになったのでしょう?

調べました。
山上憶良が「万葉集」で詠んだ
  「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花」
  「萩の花尾花葛花なでしこの花女郎花また藤袴朝がほの花」
上の2首が「秋の七草」の始まりとされるそうです。
憶良は秋の野を詠んだだけなのに、それが『秋の七草』になったのですね。

私が『秋の七草』を詠むならば
  「栗・柿・山芋・山ぶどう・松茸・ぎんなん・あけび」
と、なりそうです。