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 『最近の大工集団 欅 Vol.41』
 
 
2015年2月6日
 
先程、お客様と鳥居の話になりました。
鳥居は2本の柱だけなのに何故倒れないのか不思議ですね。
関東大震災、広島の原爆でも倒れずに残った鳥居があります。

 
 
原爆による被爆にも耐え、完全な形で残った山王神社の一の鳥居

 
 東日本大震災で津波があっても残った鳥居
 
大工集団 欅は建築屋です、今日は鳥居と現在の建築について書くことにします。

鳥居の足下には大きな輪になった「沓石」という二重になった大きな石があります。
上の写真にも見えています。
鳥居の柱脚と呼ばれる柱は、その石の穴に差し込んであります。
固定はしません、ただ差し込んであります。
自由に動く状態です。

すると地震で地面が揺れ、沓石が一緒に揺れたとしても、柱脚にはその力が伝わらないのです。
つまり沓石と柱脚は、究極の免震構造になっているのです。
だから地震でも倒れない。
原爆の爆風がきて横から強い力を受けても、免震構造と同じ理論で力に耐えました。
まさに「柳に風」と受け流してしまうのです。

現代建築を学んだ経験不足の建築家が、神社の鳥居の修復を依頼されると、鳥居の足下をコンクリートでカチカチに固定してしまいます。
そうすると小さな地震でも揺れは柱脚にまるごと伝わりますから、理論的には柱脚の四分の一のところで、斜め45度に割れが入り、その上部が完全倒壊します。

茨城県笠間市にある笠間稲荷神社の新設の鳥居は、東日本大震災で倒壊しました。
施工は大林組で、若い設計者が古くからの石屋さんの忠告を聞かずに足下を固定しました。
震災のとき、この鳥居は下から四分の一の所でみごとに教科書通りに45度の角度で、構造理論どおりに、まるで構造の勉強の見本みたいに完全倒壊しました。

鹿島神宮の鳥居も地震で完全倒壊しました。
こちらは鳥居そのものが、鉄筋コンクリート造りでした。
ガチガチに固めて造ったはよいものの、地震の揺れに柱脚ごと倒壊してしまいました。
鹿島神宮は昨年6月に大鳥居の再建をしました。
今度は昔ながらの技法で沓石を使った木製の大鳥居で再建しています。

再建された鹿島神宮の大鳥居の柱は約500年、笠木は約600年の樹齢を誇る境内で伐採された御神木だそうです。
後世までずっと残る仕事に携わった人たちは誇りを持ってることでしょう。
また5~600年も前、この木がいつか何かの役に立つよう願いながら植樹した先人もさぞや誇ってるいるのではないでしょうか。

技術というのは蓄積です。
日本の国土は寒暖の差が激しく多湿で、地震、台風、水害、雷、土砂災害などの天災が頻発します。
つまり日本人は、自然災害と常に隣り合わせに暮らしてきました。

そうした国土にあって、古くからある先人の知恵を頭から全否定して、地震もなく寒暖の差もあまりなく乾燥した西欧建築をただ模倣したのが戦後の建築です。
西洋の建築物は石造りですから、4〜500年経過した建物がいまだに使われています。
日本の古くからの建築はせいぜい100年、150年ですから、西洋建築の方が優れている、などと私なども学生時代に教わったものです。

しかし、日本の木造建築は、たとえば法隆寺五重塔は607年の建造で今年で1408年経過しています。
地震大国である日本にあって、木造の塔建築物が1408年も経っているのです。
そしてこれは世界最古の木造建築物です。

法隆寺五重塔が度重なる地震にあっても、なぜ往時の姿を保っているのかといえば、鳥居と同じ技術で、釘を一本も使わないで木と木を軸で組んで、建物自体が究極の免震構造物となっているからです。
この技術は、そのまま東京スカイツリーに活かされました。

東京タワーは三角形のいわばピラミッド構造です。
地震の揺れに三角錐で踏ん張る構造です。
東京スカイツリーは、軸がゆるやかに組まれ、地震の揺れをまるごと吸収する構造です。木と鉄の違いはありますが、その基本となる考え方は、五重塔と同じものです。
だからあの巨大な電信柱が倒れないのです。

さて、法隆寺五重塔が築造された時代、大工道具というのは、「ヤリカンナ」と呼ばれる先の尖ったノミのような道具だけしかありませんでした。
大工さんたちは、ヤリカンナ一本で木を加工し、あの建築物を築いたのです。

そして実は、そのヤリカンナは赤城で発見された磨製石器とそっくり同じ形をしています。
その磨製石器がいつの時代のものかというと、ナント3万年前です。
これは世界最古の磨製石器です。
世界で二番目に古い磨製石器がオーストリアのヴォレンドルフ遺跡出土の石器で、約2万5000年前のものです。
日本の磨製石器は、それよりも5千年も古いのです。

三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文中期の遺跡です。
そこには有名な、巨大な六本柱の木造建造物があります。
この柱は直径1メートルもある大木を伐り出したものですが、まだ鉄器がなかった時代に、どうやって当時の人たちがこのような大木を伐採していたのでしょうか。
それは、木の根元を火で焦がし、焦げたところを磨製石器で削りとり、また焦がし、また削りを繰り返すことで、あれだけの大木を伐り倒し、枝を払い、巨大柱にしつらえたのです。

つまり、それらの技術は、日本では少なくとも磨製石器が発見された3万年前にまで遡ることができるわけです。
いま、まだ西暦2015年です。千年前なら紫式部の時代です。その30倍も古い大昔から、様々な工夫と失敗の繰り返しの中で蓄積された技術の集大成が、実は日本建築なのです。

そうした技術を頭から否定し、外来の技術だけが「進んだ技術なのだ」と信じこみ、日本の古くからの技術を「遅れている」と決めつけてきたのが戦後の日本建築です。
けれど、戦後の建築物は地震でたいへんな被害に遭いました。
建物は全壊したものも半壊したものも、瓦礫を撤去して、また一から建て替えるしかありませんでした。

古民家も半壊しました。
けれど日本の古民家は、はじめから壊れることを前提に造られています。
ですから建物を持ち上げて、沓石をはめれば、もとの状態に瞬く間に戻りました。
はじめから壊れることを前提に、修理しやすく作られていたからです。

技術だけではありません。
用材の問題もあります。
最近では輸入木材が安いからと多用されていますが、日本は高温多湿です。
外国産は乾燥地帯の木材なら、日本にくれば湿気をおもいきり吸い込みます。
するとすぐに腐ってしまいます。
熱帯雨林の木材は日本の温暖な気候では、元気のよい木食い虫たちの格好の餌食です。

だから湿気を吸わないように、防湿剤を巡らせます。
虫がつかないように防腐防蟻剤・駆除剤を塗布しています。
近代では建物を機密化するのですが、そうすると木材が早く痛みます。
そして防腐剤も、防虫剤も10年もすると効き目が落ちます。
すると、湿気を吸い、虫が付くようになります。

おもしろいのは、日本の古民家建築が行った裏庭の破風林です。
いまでも、古い農家などでは家の周囲が林になっている住居を見かけます。
何のためかというと、家を建てる、すると木を伐ることになります。
だから、次の家を建てる木を植えたのです。
次の建て替えのときは、その木を使います。
そうすれば、余計に木を伐らなくて済むからです。
だから家に近い裏庭に植樹しました。
防風林にもなりました。

木は、用材に育つまでに150年〜200年かかります。
ということは、世代でいったら7〜10世代先のことになります。
そのときまで、1軒の家でみんなが住めるように、余分に木を伐らなくて済むように、そのときまでちゃんと家が持つように、はじめから200年単位で長持ちするように、家を建てたのです。
これって、究極のエコですよね。

そして200年先となれば、その間に地震もあるだろう、水害もあるだろう、火山の爆発によって火山灰が降ることもあるだろう、地すべりが起きることもあるだろう、家が古くなり、基礎が傾くこともあるだろう。
実は、それら全てに対処し、手軽に修復もできるように、日本人は家を作っていたわけです。

ちなみにそれらは、家と家が離れて建っている田舎の建築の場合のことです。
江戸や大阪の町のように、民家が密集しているところでは、最大の心配事は、地震よりも火災です。
ですから、火災発生時にはできるだけ延焼を食い止めるために、花釘一本をトンカチで抜いたら、簡単に家を人の力で倒せるように、家を造りました。
ですから江戸の火消しは、バケツや桶を持たずに、引掛け棒である「とび」や、燃えている家が倒壊したときに吹き出す火の粉を散らすための「まとい」を手にしています。
彼らは水をかけて火を消すのではなく、家を倒して延焼を防いで町を守ろうとしたのです。

要するに、建築物というのは、その国の風土にあった材料、その国の風土にあった技術の集大成なのです。
冒頭の鳥居も同じで、何があっても倒れないようにと、構造そのものを工夫して免震構造で建てていたのです。

そしてそうした技術は、日本では「万年単位」の遠くて古い昔から、様々な災害を経験しながら徐々に積み重ねられてきた技術です。
そしてその技術は、わたしたちの祖先が蓄積してくれた知恵でもあるわけです。

日本では、人は死んだら神様です。
そしていまはもう神となった、その先人たちの万年単位で積み重ねられた知恵の集大成こそ、まさに今を生きる私達にとっての「神様の知恵」であり、それこそが神様なのではないかという気がします。

そういうことに、まず感謝します。
そこにこそ、出発点があるのではないでしょうか。

戦後の私達は、いたずらに過去の日本を否定することで、結果として、自然を破壊し、建造物の老朽化を早め、住みにくい日本を作ってしまってはいないでしょうか。





 
2015年2月4日
 
昨夜は家内と二人だけでピザパーティーをしました。
薪ストーブがあるとこんなこともできるのです。

 
 
 
ピザの写真よりも下の写真を見て欲しいのです。
ストーブの中にピザが乗っている五徳が見えるでしょ?
コレ私が鉄筋を溶接して作ったんですよ。
誰も信用してくれないでしょうが、本当なんです。

 
ホラね。

昔、看板屋さんへアルバイトに行っていたときに溶接の免許を取りました。
移動クレーンの免許も取ったんですよ。


看板屋さんはいろんな素材を使います。
木・鉄・アルミ・プラスチック・紙・ガラス等々です。
看板屋さんでこれらを加工した技術はプロ並みとはいかないまでも、今でも時々重宝しています。
昔取った杵柄ですね。

現代では棚板一枚も取り付けられない男の人が多くなりましたが、昔の男はそんなことはなかった。
家族のより良い生活のために、家の簡単な補修や、棚くらいを作るのは、男として楽しいことなのではないでしょうか。

建築屋である大工集団 欅の代表が書くのはおかしいかもしれませんが、男はペンキ塗りや家の簡単な補修くらいはして欲しいものです。
面倒くさいかもしれませんが、やりだせばけっこう楽しいものです。
今ではホームセンターへ行けばいろんな物が売られていますから、仕事もしやすくなりました。
プロ並みとは行かなくても、出来上がった物は自分だけではなく家族の人達にも「お父さんが作った物」と、愛着を持ってもらえると思います。




 
2015年2月2日
 
今回のISIL日本人人質殺害事件で亡くなられた後藤さん、湯川さんのご冥福をお祈り致します。

今回の事件でも多くのことを考えさ
せられました。

 
今の時代、インターネットを使えば、世界情勢をある程度は知ることができます。
ところが、日本の中には「日本を世界から孤立させよう」という考えを持った勢力がいますね。
その連中は、ISILに対しても、「理解を示せ!」と言うのです。
このようなものすごく異常な「ISIL擁護派の人たち」が日本にいることに驚きます。

それでは世界でISILを擁護している国、あるいは友好国はあるのでしょうか。
調べてみましたが国家規模でISILを支持している国家は一国もありませんでした。
国としてでなければISIL擁護派にはナイジェリアのテロ集団「ボコ・ハラム」がありました。
学校を襲撃して女子学生を誘拐し、最近は少女に爆弾をくくりつけて自爆テロを頻繁に起こしている連中です。
あとはリビアのトリポリにある高級ホテルを爆破したのが「ISILリビア支部」。
それ以外は見つかりませんでした。

でも、日本国内には今回のISIL日本人人質殺害事件は安倍首相の中東訪問が原因だとし、安倍おろし、日本批判をする人達がいます。
安倍首相の中東訪問をアレコレ理由をこじつけていますが、それらは全て間違っていることに賢明な人は気づいているでしょう。
ひょっとすると、人数的には「ISIL擁護派」が一番多いのは日本なのかもしれません。
ほんとに愚かな連中です。

では、ISILを批判している国はどこでしょうか。
まず一番分かりやすいのが、「ISILの支配地域を攻撃している国」ですよね。
ズバリ、ISILと敵対している国です。
皆さんはISILを空爆している国をご存じですか。
  
まずは「有志連合」と呼ばれる攻撃参加国があります、これが10ヶ国あります。 
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、オーストラリア、トルコ、ポーランド、デンマークです。
韓国がよく「日本も見ドイツに習え!」と言っている「ドイツ」が入っているのが意外でしょ。
でもドイツは軍需産業、武器産業では世界のトップメーカーです。
「有志連合」ではありませんが、オランダ、ベルギーも空爆に参加しています。

さらに、「中東五ヶ国」も空爆に参加してます。
イスラム教徒も邪教集団と戦っているのです。
サウジアラビア、UAEアラブ首長国連邦、ヨルダン、バーレーン、カタールです。
サウジは皇子様がパイロットとして、UAEは女性パイロットがISILへの空爆に参加しています。
そして後藤さんと同時解放を目指したのがヨルダンの空軍パイロットでしたね。

こういう事実を報道しないのはいつもの日本のマスコミのやり方です。
そして政府を批判してばかりいます。

「空爆」って戦争行為です。
みんな、その覚悟を持って、ISILの虐殺行為を止めようとしているのです。
「安倍総理の演説が~」なんてバカなことを言っているのは日本だけです。

大変興味深いのは、ISILは北朝鮮とも敵対していることです。
これは北朝鮮の金正恩がフランスでのイスラムテロ事件に対してお見舞いの手紙を出したことにISILが激怒したんです。
ISILは金正恩に対して「泣く豚」とやりましたから、北朝鮮がISILを擁護することは未来永劫ありえません。

世界的に見て、安倍総理による「中東への人道支援」なんて何の問題もないことは明白です。
というか、ISILを叩く軍事作戦は宣戦布告です。
にもかかわらず、ヨーロッパのイギリス、フランス、ドイツ、イタリアが参戦していることを日本国民はもっと知るべきです。
ある意味、ヨーロッパの主要国が、ISILに宣戦布告しているのは、「ISILによる虐殺は止めなければならない」という国民の理解があるからでしょう。  

日本は虐殺されている人がいても、憲法によって派兵が出来ないため直接は助けず、人道支援をしています。
それが今回のISIL日本人人質殺害事件の原因だとするのはおかしいでしょう。
派兵には反対、人道支援も反対では日本は世界から孤立します。

暴力をふるっている者がいたら、その暴力を止めてくれるのが被害に遭っている人の一番の願いと思います。
人道支援なんて「生きるか死ぬか」のランクでは下ですよね、それさえも否定する人はどの様に考えているのでしょう。
何でも反対では事は済みません。

そして、日本のメディアの「報道しない自由」は、日本を世界から孤立させていると私は思います。




 
2015年1月30日

今日の新聞も「イスラム国」人質事件が一面トップです。

問題は大きく、解決への課題も多くあるでしょうが、一刻も早く後藤健二さんの解放を願っております。

 
この様な事件が起きると様々なことが話題となります。
その一つに『自己責任』という言葉があります。

2004年10月に発生した、イラクのアルカーイダ組織を名乗るグループによって日本人、香田証生さんが殺された事件は皆さんも覚えておいでるでしょう。
あの時も『自己責任』が話題になりました。

今回の「イスラム国」人質事件でも『自己責任』が話題になっていますが、私は『親の責任』に考えさせられています。

過激派組織「イスラム国」とされるグループが人質の日本人、湯川遥菜さんを殺害したとする画像を公開したことを受けて、湯川さんの父、正一さんが25日午前にメディアの取材に応じました。
正一さんは「息子のために政府や関係の方々にご迷惑をかけた」として謝罪し、各方面の尽力に感謝を示しました。
また遥菜さんを助けるためにシリア入りし、同じく人質となった後藤健二さんについても、「非常に心苦しい。一刻も早く日本に帰ってきてほしい」と話した。

正一さんは25日の午前0時過ぎ、外務省から「遥菜さんが殺害されたようだ。確認は取れていないが、ご承知おき願いたい」との電話を受けたといい、「とうとう来てしまったという残念な気持ちだ」と語った。

息子が殺害されたようだとの情報に接しながら、政府や関係者に謝罪する正一さんの姿は、海外のインターネット・ユーザーの間で大きな話題となり、物議を醸した。

この湯川さんの父親のコメントについて海外ユーザーたちのコメントを拾ってました。
「日本民族ってどこまで恐ろしいんだ?ほかの国だったら、家族は『政府が何もしなかった』って批判するだろうに」
「日本人は好きじゃないけど、正一さんには心からの敬意を示したい」
「日本人はなにか起きれば反省する。中国人は反省しないばかりか、誰かのせいにする」
「こうしたニュースが本当にメディアに脚色されていない生の報道だとすれば、日本民族は末恐ろしいな」
「これが日本民族の精神だ」
「なんだか彼がとても偉大で、強く見える」
「やっぱり中国人は日本人に学ぶべきだ。敵だったら本当に恐ろしい!」
「誰かを責めたりせず、ただただ寛容」
「言葉にできないけど、心からの敬意を表したい。こういう気持ちは山を動かし、岩をも砕く」
「こういうことが言えるのは日本人だけだね」
「衝撃的。国が違えば考え方も違うもんだなぁ。こういうのはまねできない」

また一部にはこんなコメントもありました。
「息子が殺害されたって聞かされて、なぜ謝る必要がある?」
「そういうロジックって正しいの?」
「こういう謝罪からも日本人の恐ろしさが分かる。もし韓国人だったら人質の親は絶対にカメラに向かって大統領を罵る。多くの人たちが日本の管理体制やシステムを単純に中国に導入しようとするけど、それは必ず失敗する。だって日本人はものすごく特異で、ほかの民族が理解しがたい民族だから」

湯川遥菜さんの父親の態度は日本人としてはごく普通のことでしょう。
安倍首相や政府のせいにするような親もいますが、それこそ一握りの少数派と言って良いでしょう。
海外ではそれに驚き「これが日本の民族精神」と表現し、それに衝撃を受けたと書いていますが、やはり大陸系の人間は日本人とは大きく精神状態が異なるようです。

彼等は『迷惑をかけた・・・・』この意味を正しく理解していないと思う。
否・勘違いしているのかも知れない。
誰だってもう20歳を過ぎた子どもがしたことを親が謝る必要がないと分っています。
しかし、そうは言っても親がそれを子どもに代わって世間に「迷惑をかけた」と発言することを、日本社会では許容している。

何故でしょう?
それはやはり日本の歴史の慣習というか、日本人の生き様と大いに関係があるのではないでしょうか。

よく戦前の日本人は「恥の文化」という言葉をもちいました。
これを戦後になると「迷惑の文化」に変質してしまったなどとも言いますが、本質的には違うのでしょうが混同して使ってしまう人もいるのではと思っています。

迷惑というのは他者との関係、社会との人間関係から派生します。
「世間様に迷惑をかけてはいけない」これは共通の概念となります。
恥というのはあくまでも「己(おのれ)から生じる概念でしょう。

外国人は湯川遥菜さんの父親は息子が殺されたのだから、本来は謝る必要がない。
むしろテロリストを批判すれば良いと考えたのでしょう。
しかし、日本人の生き方からすれば、そのようなことは百も承知なのですが、湯川さんの父親には世間を騒がすような息子に育てた自分の責任でもある。
つまり、「恥じることはなかったのか?」と自分に問いかけて、あのような発言になったのではないでしょうか。
そのように考えます。

日本人の多くはそれを理解できるので、皆さんそれを聞いて立派な親だと納得できるのだと思う。
武士道精神とは「恥の文化」だとも言います。
だから切腹という作法まで確立されたのです。
その武士道精神は今も受け継がれているようです。

日本人のコメントには次のようなものがありました。

「お悔やみ申し上げます。」
「やはり宗教に頼る他国家よりも、人間力が圧倒的に高いと思います。」
「こういった武士道精神が最高峰な気がする。」
「日本人でよかった。」

何故、「日本人でよかった。」とこの人は書いたのか?
それは他人のせい、つまり政府のせいにするような発言もかなり飛び交っていたからでしょう。
だからそれを批判する意味で、或いは自戒を込める意味で書いたのかも知れません。

違和感を覚えて「衝撃的」とした外国人世論(コレを書いたのは中国人)にこそ日本人は驚きます。
純日本人としては当たり前の対応です。
なんとなく湯川さんの父親の話を聞いてほっとした人も多かったのではないでしょうか。

今回の湯川さんの父親の言葉は社会に対しての感謝の意味もありました。
社会に迷惑をかけたが暖かく励ましも受けたという感謝の意味です。
素晴らしい父親だと思いました。
これぞ日本人です。

湯川遥菜さんのご冥福をお祈り申し上げます。




 
2015年1月27日

日常で何気なく使っている道具、たとえば爪切りや包丁を新しい物と取り替えると、どうもあんばいが良くないという経験はありませんか。
以前に店で使っていたケーキサーバーが折れてしまい新しい物を買ったのですが、使いにくく以前と同じ物を探すのに苦労しました。
ようやく見つけると貝印のケーキサーバーでした。
『おゃ・・・!』と思いました。
以前に家内とオタマを探していてとても気に入った物が貝印でした。
気に入って使っている爪切りも貝印。
そして今、ケーキクーラーを探していたところ、気に入った物は貝印でした。
どれも他社に比べるとほんの少し高額なのですが、機能的で、デザインもとても良いのです。

 
昨日新聞を読んでいると貝印がレオナルド・ダ・ヴィンチ賞を受賞したと書かれていました。
この賞は、家業歴200年以上の老舗企業44社からなる国際組織のエノキアン協会(本部・パリ)とダビンチが最後に暮らしたクロ・リュセ城が共催するもので、大切な遺産を未来に継承することを目的に2011年に設定されたそうです。
貝印の受賞は4社目に当たるそうです。
選考条件は、伝統を守りつつ、絶えず革新、イノベーションに挑戦していることなのだそうです。
新しい試みをしていて、ある程度の歴史ある企業ということで、貝印はまさにその通りの企業だと思います。

貝印ブランドは、主力商品のカミソリ、包丁を核にした調理用品や爪切り等の刃物会社です。
医療用のメスも評価が高いのだそうです。
近年では調理小物やヘアークリップ等の女性の身だしなみ用品も作っています。
どれも一工夫されていて、とても使い心地がよいのです。

本社が東京都千代田区となっていたので『アレッ?』と思いましたが、工場は岐阜県関市だそうで、『やっぱり!』と納得しました。




 
2015年1月23日
昨日、外出から帰ってネットで新聞を読んでいると、とんでもない記事が出ていました。

『歌手徳永英明が22日、都内で行ったライブで、カバーアルバム「Vocalist」シリーズを終えると発表した。』

「そりゃーないだろ!」と独り言を言ってしまいました。

つい最近、今年になってから徳永英明のVocalistを聴いてフアンになり、Vocalist-1.2.3.4を購入し、さらに彼のアルバムの殆どを購入しました。
そんな矢先のニュースに驚きました。

 
その記事によると今年で10年の節目で大きな区切りを付けたことに、徳永は「1度封印します。今年いっぱいは、カバー曲をリスペクトしてたくさん歌っていこうと思います」と話したそうです。

昨日行われたライブは初めて全曲をカバー曲で構成したもので、ギターと鍵盤だけのシンプルな編成でファンを魅了したそうです。
今後について、周囲には「オリジナル曲に専念したい」と話している。

『壊れかけのRadio』など、ヒット曲も多数ある歌手・徳永英明さん。
彼の『Vocalist』は2005年にスタートし、今月21日に発売したばかりの6作目を含み、累計600万枚を売り上げた大ヒットシリーズだったそうです。


カバーソングのブームが続いているそうです。
もはやブームを超えて、一つのジャンルとして確立された感すらある。
では、カバーの成功のカギはどこにあるのか。
彼はカバーソングの成功を下記の項目で説明しています。

(1)「敬意」 
彼にとってカバーとは「奉納」だという。
「元々ある素晴らしい楽曲がかぶっていたすすを払って、きれいにして歌う感覚。本家のファンがいるので、原曲へのリスペクトを忘れないよう心がけている」。
(2)「意外性」
ただ原曲をなぞって歌うだけなら、カバーする意味もない。
気の利いたエッセンスを振りかけることで「えっ?聴いてみたい!」と興味をそそる。
「Vocalist」シリーズは「男性の徳永が女性ボーカルを歌う」という意外性が原点だった。
(3)「説得力」
先述したネガティブな面の安易な感じは、カバーする歌手に説得力がないからだ。
(4)「質」
当たり前だが、完成したカバー曲の出来上がりこそが、最大のポイント。
彼の元には発売の度に、オリジナルの歌手から「カバーしてくれてありがとう」という感謝の言葉が多く寄せられるという。

もっと彼のカバー曲を聴きたい。
「1/fのゆらぎ」の天性の歌声を持つ徳永英明、これからの活動に期待します。




 
2015年1月19日
 
今日から喫茶大工集団 欅の前面道路の舗装工事が始まりました。

 
 
ご来店されるお客様には大変ご迷惑をお掛けしますが、駐車は家の駐車場をご利用下さい。
誘導員さんが案内してくれます。

工事は23日(金曜)迄です。




 
2015年1月17日
今日、2015年1月17日で「阪神・淡路大震災」が発生して20年になります。
私は1月17日になるたびに『ボンクラの村山富市が総理でなければ救える命もあった!』と思うのです。

阪神・淡路大震災 は、1995年1月17日、午前5時46分に発生しました、火曜日でした。
当時の内閣総理大臣は、社会党の村山富市です。
これは日本にとって本当に不幸でした。
お若い人は「なんで社会党?」と思われるかもしれませんが、この時代は日本の政治の混乱期の一つであり、不幸にも平成6年(1994)6月30日~平成7年(1995)8月8日までは、社会党の村山富市が総理大臣、自民党の河野洋平が副総理兼外務大臣をやっていたんです。

この時代、小沢一郎により自民党が分裂させられ、「非自民党非共産」の新生党や日本新党などが作られ、そこに共産党を除く既成政党が野合したんです。
具体的には、日本社会党 、新生党 、公明党 、日本新党、 民社党 、新党さきがけ、自由党、 改革の会 、社会民主連合 、民主改革連合、新党みらいなんですが、まさに「烏合の衆」ですよね。
こういう連中が担いだのが「細川内閣」であり「羽田内閣」だったのですが、案の定、細川護煕は「佐川急便一億円借り入れ事件」で辞職。
羽田孜が総理大臣になるも、今度は社会党が離脱して羽田は2ヶ月で退陣してしまうんです。
そこでできたのが「自民、社会、さきがけ」の「自社さ政権」。

そんな村山内閣の時代に「阪神淡路大震災」が発生します。
当時の兵庫県知事は貝原俊民さんでした。
この人の危機管理にも問題がありました。
一般的に言われているのが、「貝原兵庫県知事の自衛隊への災害救助要請が遅く、迅速に災害派遣要請をしていれば死亡者はもっと少なく済んだ」という指摘もあります。
驚くことに、10時10分の陸上自衛隊への派遣要請は実際には、事態の深刻さを正確に判断した兵庫県の防災担当、野口課長補佐でした。
野口課長補佐はその後、神戸の兵庫県庁から淡路島の県民局企画調整部に転出しましたが、これは野口課長補佐の独断をとがめた県による左遷といわれています。

  10:10 ・兵庫県防災担当、野口課長補佐による陸上自衛隊への派遣要請
  19:50 ・兵庫県知事、海上自衛隊に災害派遣要請
  21:00 ・兵庫県知事、航空自衛隊に災害派遣要請
野口課長補佐による陸上自衛隊への派遣要請から10時間近くが過ぎてようやく貝原知事は海上自衛隊に災害派遣要請しました。
航空自衛隊に災害派遣要請したのは更に1時間以上経ってからでした。

そして首相であった村山富市の、「阪神淡路大震災」時の動きですが、これが信じられない世界でした。

  06:00 ・CNNワールドニュース、トップニュースで「マグニチュード7・2。
         神戸で大地震」と報道。
        ・村山起床。テレビで震災を知る。
  08:00 ・官邸、防衛庁に、派遣要請がきているか確認するも、要請無し。
  08:26 ・総理、官邸執務室へ(予定より1時間早い)。テレビで情報収集。
  09:18 ・村山、廊下で記者に「やあ、大変だなあ」、
         視察はしないのかとの質問に「もう少し状況を見てから」とコメント。
  10:00 ・村山、月例経済報告終了後廊下で、記者の
         「北海道や東北と違い今回は大都市での災害だが、対策は?」との
         質問に「そう?」とだけコメント。
  10:04 ・定例閣議。閣僚外遊報告。非常対策本部設置決定。
         玉沢徳一防衛庁長官には「沖縄基地縮小問題で(上京してきている)
         大田昌秀知事としっかり協議するように」と指示。
         震災についての指示なし。
  10:15 ・中部方面総監部、自衛隊災害派遣出動命令(2300人)
         (野口課長補佐による)
  11:00 ・村山、廊下で会見。記者の「総理が現地視察する予定は?」
         との質問に、「状況見て、必要があればね」。
         「総理は行く用意はありますか?」との質問に、
         「そうそう、状況を見て、必要があればね」。
        ・村山総理、「二十一世紀地球環境懇話会」出席。
         「環境問題は国政の最重要課題の一つとして全力で取り組んでいく」
         と発言。
  12:00 ・新党さきがけ高見裕一氏が現地から官邸に電話をし自衛隊増員要請するも、村山総理「高見は大げさだ」
         政府与党連絡会議中、五十嵐官房長官が村山総理に「死者203人」と報告。
         村山「え!?」と驚愕。
(以上http://poo-mono.jugem.jp/?eid=294 より引用)

その後、初動対応を批判された村山は、
「なにぶん初めてのことでございますし 、早朝のことでもございますから・・・、政府の対応は最善だった」
と弁明した。
この男が1995年1月17日に日本の首相だったのが不幸だった。

「阪神淡路大震災」での死者は6,434名で行方不明者3名でした。
でも、もし、もっと早い時点での災害対応ができていたら焼死者や圧死者を減らすことができたのは自明の理です。
人々が苦しんでいる最中にこのボンクラ社会主義者は「二十一世紀地球環境懇話会」で「環境問題は国政の最重要課題の一つとして全力で取り組んでいく」とやっていたんです。
まあ、人命などそっちのけの社会主義者ゆえの「鈍感さ」なんでしょうね。
こんなボンクラどもが出したのが「村山談話」であり「河野談話」でした。
社会党の村山富市が総理大臣、自民党の河野洋平が副総理兼外務大臣をやっていたんです。

「村山談話」と「河野談話」というものが、いかに日本国民の意志とはかけ離れたものであるかは歴然ですよね。
しかも、村山富市と河野洋平は今ものうのうと生き続けている。
世の中はほんと不公平ですね。

「1月17日」の日が来るたびに私は、「ボンクラ村山富市が総理大臣でなかったら死なずに済んだ命もあったのに」といつも思います。

亡くなられた方たちのご冥福を祈ります。




 
2015年1月11日
 
十数年前に春江一也さんの小説「プラハの春」を読みました。
勘違いされてはいけません、『プラハの春』と言う本は、歴史書ではなく 恋愛小説です。
ソ連崩壊前の時代を背景に、子供のいる改革派の現地人女性と 日本人外交官男性の恋愛小説です。
ですが 単に恋愛小説と言う話ではありません。
1968年に起こった「プラハの春」当時、チェコスロバキア日本大使館勤務だった著者の体験談に基づく小説です。
緊迫した状況を伝える文章から、それぞれの場面が映像として浮かび、ハラハラドキドキしながら、二人に愛の行方を読み進めていきました。
著者の分身「堀江亮介」を主人公に、1968年、チェコスロバキアで起きた自由を求める民衆運動「プラハの春」が、ソ連軍を中心とした共産主義国家に押しつぶされるまでを、フィクションを織り交ぜながらもリアリティ溢れるストーリーを展開されます。
当時の政治状況を知る上で格好の教材となっています。
DDR(東ドイツ)人女性「カテリーナ」との恋物語もそれなりに抑制が聞いていて花を物語りに花を添えています。

 

さて、『プラハの春』を読んで十数年経ち、昨日読み終えたのは同じ著者の『ベルリンの秋』でした。

『プラハの春』の続編ともいえる『ベルリンの秋』は、プラハの春からベルリンの壁が崩壊する1989年11月までの歴史的事件を背景に書かれています。
当時の歴史のうねりの一端を知るには良い本です。
言うまでもなく、1989年10月の「ベルリンの壁崩壊」がテーマです。
前編ではプラハ駐在だった「日本人外交官、堀江亮介」、こんどは東ベルリン駐在を命じられます。
そこでは前編で生き残った人々が、新たな壮大なる物語を形成します。
物語は「これでもか!」と言うまでに、それぞれの登場人物を窮地に追い込むのです、残虐なまでに。
ここでも微に入り細に入る著者の筆は衰えません。
しかも前作を超える、流れるような筆致。
物語の最後、ベルリンの壁崩壊の街の素顔、そして偶然に「その日」に重なってしまった「日本人外交官、堀江亮介」と彼の「会いたかった人」との劇的な再会のシーンは、涙無しには読めません。

実際この「ベルリンの壁崩壊」の日、友人と電話で話し、「ついに、来るべきものが来たね」と、お互いテレビの画面を見ながら言葉を交わしたことを忘れることはできません。

社会主義の現実を知るにはよい参考書となるのではないでしょうか。

 
 
ところでこの本を読んでアウシュビッツでの実体験を綴った『夜と霧』を思い出しました。
ユダヤ人精神分析学者フランクルによるもはや古典といっても良い名著です。
人間の実存にせまる哲学書と言っても言い過ぎではありません。
小説とはまったく違いますが、戦争の狂気を知る上ではお勧めの一作です。

最後は違う本の推薦になってしまいました。




 
2015年1月10日
 
毎日、雪が降り除雪をしています。
お正月気分はぬけましたか。

さて、以前に『人類みな兄弟』と言った人がいましたが、その受け取り方にはいろいろあるのではないでしょうか。
文化の違いを考えると、そうとも言い切れないのではと思ってしまいます。

今日の新聞一面でのニュースのトップはどの新聞社も「フランスでのテロ」ですね。
フランスのテロの犯人は移民したイスラム教徒でした。
テロは勿論犯罪ですが、原因は宗教に根ざした文化の違いであることに日本人は気づいていません。
「移民=文化侵略」と言う視点は日本のメディアにはありません。
それはもちろん「日本の移民問題=在日韓国朝鮮人問題」に波及することを恐れるからでしょう。
でも、ネットユーザーの皆様は、日本国内で朝鮮人移民や中国人移民によってすでに多くの日本人が殺され傷つけられていることを知ってしまいました。
要は「移民による犯罪がばれたかばれていないか」のちがいですしかありません。
最近の日本では犯罪者の氏名が公開されないことが増えました。
おかしなことですね。

今、ヨーロッパでは移民に対する警戒感が充満しています。
ロイターのPaul Taylor記者の記事を読むと、フランスのオランド大統領はもちろん、ドイツのメルケル首相、イギリスのキャメロン首相も移民に対する方向性を見直しているようです。
でも、それはスウェーデンの移民事情をみると遅きにししたようです。
スウェーデンは多文化主義を失敗と呼んで移民の制限を求める立場になっています。
「お金をあげるから国から出て行ってくれ」という政策までつくられたのです。

間違いなく 今後のヨーロッパからは「他文化多民族共生主義」は駆逐され、保守愛国主義が大きな力を持つことになるでしょうね。
日本がヨーロッパに追いつくためには、おそらく何回か「移民による日本人殺し」が繰り返されない限り、日本国民は「みんな仲良く」という甘言にだまされ続けるのでしょう。
日本にいるある種の移民にとっては日本と日本人は「自分たちが支配できるバカな国家・民族」なのでしょう。
彼らは「イスラム移民と同じ」です。
「日本は日本人の国」、こんな当たり前のことが通用するためには、今後多くの日本人の涙と血が流されなければならいかと思うとやりきれなくなります。

   
 



 
2015年1月4日
   明けましておめでとうございます。

本年も大工集団 欅を
宜しくお願い致します。


 
皆様はお正月をどの様に過ごされましたか。
年々お正月らしさが無くなって、何もしないで過ごすのがお正月になってしまいました。
特に今年のお正月は雪で、スキーにも行けず、昨日などは除雪をしていました。

今年は、干支でいうと「乙未(きのとひつじ)」となりますが、一般的には十二支の方で“羊年”をさすので、そのヒツジに関する話題から今年の稿を起こすことにします。

さて、ヒツジは「羊」と書きますが、干支の「乙未」の「未」という字は、枝がまだまだ伸びきっていない状態の木の形を示したものだそうです。
「未」という字は未来、未熟、未明などの言葉から「み」が本来の読みです。
一方「羊」の字は、動物のヒツジを正面から見たときの、角と上半身を表した形からきたもので、後ろ足までの全体を表し、成熟したヒツジの美形を表したのが「美」という字だと言われております。
そのため、めでたく良い意味を持つ言葉(祥・義・善・翔など)に用いられてきました。

その意味でも、旧年のような「羊頭を懸けて狗肉(犬の肉)を売る」悪徳業者が世界から消えてなくなり、「羊に虎の皮を着せた」政治家や似非評論家が世間の表舞台からいなくなってほしいものです。

今年は、一説に平和の象徴ともされてきた「羊」本来の完全美の姿を表徴した文字「美」を具現する新年であって欲しいものです。

 
 喫茶大工集団 欅の前面道路の除雪
 
喫茶店をしていなければ除雪さえせずに家でゴロゴロしていたのでしょうね。
昨年の12月から降った雪は時々雨も降ったせいで水分を含んで重くなっています。
みなさん、除雪には手こずっているのではないでしょうか。

大工集団 欅は今日より喫茶店も営業を始めます。
本年も宜しくお願い致します。




 
 

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