日本の家具と外国の家具
今回は「家具」についての話をしてみようと思います。
もちろん、一口に「家具」といっても種類も素材も色々ありますが、やはり昔から一番馴染みの深い木製家具、またその中でも、日本製の家具と外国製の家具の違いなどについての話をしたいと思います。しかし自分は木材に関しては専門であっても、家具の専門家ではないので、木を扱う立場からという視点で思うことをかきます。
まず、一般に「家具」というと、タンスやベッド、テーブルやイスなど、家具屋と称される店で売っているもの全般を指すと思いますが、木材を扱う我々の業界では、一般に「家具」と呼ばれるものは、「足もの」と「箱もの」という2つの種類に大きく分類されています。「足もの」とはテーブルやイスなど「足」のある家具を指し、「箱もの」とはタンスや食器棚など足のない「箱」のものを指すのです。そのうち、我々が「家具」と呼ぶものは「箱もの」の方のみで、「足もの」は『またちょっと別のもの』、という感覚で扱われています。
これから話す「家具」の話も、我々にとっての家具、つまり「箱もの」に関することを話したいと思います。
〜日本の家具〜 <板の構造>
戦前まで、日本で「家具」といえば殆どが”無垢”でした。
無垢板をつかって家具を作っていた、と聞くとなんとも贅沢な感じがしますね。今では無垢の家具は値段も高く、しかも本来大量には作ることはできません。
”無垢”の家具から、「フラッシュ」という製法の家具へと移っていったのは戦後になってからのことです。この移り変わりは、戦後の日本の技術進歩により大量生産が可能になった事と、価格的に安く作れること、良材の有効利用を業界が考えた事などによります。なかでも「良材の有効利用」は、今後も考えていかなければならない大きな課題ですが、戦後の日本の家具は、ほとんどがこの「フラッシュ」という製法で作られてきました。
〜そこで、家具に使われる板の構造について少し説明をします〜
まず、「木製家具」と呼ばれ、一見「木」に見えるものでも、本当に中まで「木」を用いたものは少ないという事をご存知でしょうか。
実は大抵、芯になる材料の外側を木目の美しい木のシート、つまり突板でくるんで仕上げてあるものが多いのです。今は殆どの家具はこの方法によって作られています。こういった”芯材にツキ板を貼ったもの”に対し、まるごと「木」であるものを”無垢”と呼びます。まるごと「木」であるものと、一見「木」に見えるが実は別のものとであれば、誰しも丸ごと「木」の無垢の方がいいと思うのはもっともだと思います。しかし、無垢はそのものが天然のものであるだけに反ったり割れたりする欠点があります。しかも木材は限られた資源です。そこで考えられたのが「フラッシュ構造」をはじめとするいくつかの特殊な製法で、これらは無垢よりもはるかに木材を有効に使う事が出来るのです。
日本が高度経済成長の時代、既製家具メーカーは「フラッシュ構造」の家具を大量に生産しました。それは、価格、供給量の両面で消費者の購買の要求を満たすためでもあったのです。また都心では団地や建て売り住宅が多く建てられ、引っ越しや納品には、従来の無垢などの重い家具から、軽い家具を選ぶ傾向へと移り変わっていったのです。今では殆ど人気のなくなってしまった婚礼家具やベビーダンスが全盛期だった頃です。
その頃の既製の家具は、ツキ板に関して言えば、表面(扉の表)だけに良材を使用し、バック板・側板・内貼り等には多少グレードの低いものを使用していました。グレードの高い部分だけを使うのではなく、中グレード品を使う部分があり、低グレード品ですむ部分がありました。つまり、天然木化粧合板は捨てる部分が無いくらい有効に利用されていたのです。まさに、「フラッシュ=木材の有効利用」という公式が成り立っていました。
しかし、最近では既製品の家具の人気が落ち込み、マンション住宅等も殆どが作り付けの家具を好むようになりました。作り付けに必要なのは扉の部分のみ、つまり良材の部分のみを使用する、という事になります。勿論、作り付けであっても側板やバック板・棚板・裏板なども必要ですが、それらの部分にはプリント合板・塩ビ合板・ポリ合板・シナ合板などを使用します。その為、天然木化粧合板のグレードの低いものは行き場を無くし、多くが無駄になってしまっているのが現状です。
「木」は生き物である以上、良材だけを育てる事はできないし、良い部分だけを選んで伐採することもできません。また1本の木の中でも本当の最高級品といわれる部分は、その中のごく一部分です。世の中の需要が”良い部分の材”ばかりになってしまったら、残りの部分はどうなるのでしょうか。結局現在の状況は、当初の「フラッシュ=木材の有効利用」という目的から、かなりかけはなれてしまっているのです。今後は、本当の意味での木材の有効利用を考え、良材以外での商品のニーズと活用方法が大きな課題であると思われます。
外国(特にヨーロッパ)製の家具は、大きく分けると「無垢」の家具と「ベタ芯構造」の家具に分類されます。
「ベタ芯構造」とは、「フラッシュ」に似た製法ではあるが、芯材には木の枠組みではなく、MDFやパーチクルボード等を使い、表面に板を貼る製法です。芯になる部分には空間が無い為「ベタ芯」と呼ばれているのです。
日本で主流だったフラッシュ構造の家具というのは海外ではあまり聞いたことがありません。技術が必要なうえに製作に手間がかかるというのが一番の原因だろう。しかし、前述の中では触れませんでしたが、ベタ芯構造のものは日本でもよく使われているのです。特に、パーチクルボードにツキ板を貼ったテレビやステレオは昭和30年代に大量に出回り、現在でもキッチンの扉や、勿論家具にも(フラッシュほどではないが)使われています。
これら「フラッシュ」と「ベタ芯」との使い分けは、用途や手間・コストの問題、また日本と海外との生活環境の違いなどが大きく関わっているといえます。
海外でフラッシュがあまり使われないのは、まず製造に手間がかかるからです。それは結局価格にも跳ね返る。また、日本ほどフラッシュの必要性が高くないことや、好みの問題もあります。
〜既製品の家具と手作り家具〜
ヨーロッパの家具メーカーの量産工場に見学に行った人達が必ず言うのは、工場の大きさに比べて工員の数が少ないという事です。殆どの作業を機械化し、手で仕上げる部分を少なくしている。しかし、だからと言って仕事が粗いかというと、ヨーロッパ等の人気メーカーではそのような事はありません。また多少粗い部分があったとしても、あのデザインセンスの良さは、それらを十分カバーできるものだと思います。また、そこが日本の家具との一番の違いではないだろうかと個人的に思っています。
製造工程もかなり違います。極端に言えば、入り口から丸太を入れると、出口から家具になって出てくるという「一貫生産」を行っているようです。それにより、木材を有効に無駄なく活用する事が可能になるのです。
無垢材の家具に関しては、作り手(職人)と買い手(消費者)の両者が日本とは違っています。家具職人には、医師・弁護士と並ぶ地位があり、社会的にもかなり認められているという事は以前にも触れたことがありますが、買い手側にも同じ事が言えます。いい家具を何十年、何世代にも渡って使うという意識があり、又そうする事が一種のステータスとなっているのです。新しい家具でも何世代も前から作っていたように見せる為に、わざと虫穴やキズをつけることもあります。それらも非常に人気が高いそうです。実際そういった傷やアンティークっぽさを出すためのにはかなりの技術が必要なのです。ヨーロッパでは絵画の贋作にみられるように傷やアンティークっぽさを出す技術が発展していました。
また、当然のことながら無垢を使うという事は、反ったり割れやすかったりという欠点があります。そのため無垢の材を使うには、物によっては何十年という長い時間をかけて乾燥させなければなりません。つまり今家具にする事ができる材料というのは、当然何十年も前、自分よりも前の世代の職人が用意しておいたものなのです。そして同じ様に、何十年か先の為、次の世代の家具の為に、現在の職人が材料を用意するのです。
19世紀のイギリスの工芸家ウィリアム・モリスをご存じでしょうか。彼は1920年、50人の職人を集めて手作り工房を作り、手造りの物の良さを残していくための「ハート・オブ・クラフト運動」という活動をおこしました。当時の時代背景は、産業革命によってとにかく大量にものが作られる時代でした。大量に新しいものを作り、古い物・壊れてしまった物はすぐに捨ててしまう。まさに近年の日本と同じ様な状況が、100年も前のヨーロッパでは起きていたといえます。そんな時代背景のなかで「手造りの物のよさ」を残していくための活動を行ったのがウィリアム・モリスでした。彼が始めた「ハート・オブ・クラフト運動」の中に、「アンティーク・リストア(アンティーク家具の修理・再生のため)の条件」というのがあるのでご紹介したい。
〜アンティークリストアの条件〜
1. 16世紀に作られた家具を直すには、16世紀の古材を使う。釘一つも同じ。このため古いものでリストア不可能な家具も、修理用に保存しておく。
2. 修理をするには、まず初めにその家具を作った人の気持ちになる事。テクニックはその次である。
3. ”新しい家具”と”古い家具”とがあるのではなく、”いい家具”と”悪い家具”とがあるのである。
近頃日本でもアンティーク家具が流行り、イギリスなどヨーロッパから沢山輸入されています。今、当時の古いものが日本に入ってくるという事は、その当時きちんとしたものが作られ、何世代にもわたって人々に愛されてきたという事です。しかもそれらは、今日でも修理して長く使うに値した商品であるのです。
当時のその活動によって、古くなった家具も壊れた家具も捨てられずに残っているのです。釘一本でも大切に残された事により、修理が必要な時はそれらを使うことが出来るのです。もし、100年前にそんな活動が起きていなければ、当時の家具を当時のままに残すことは出来なかったでしょう。それは材料だけでなく”職人の技術”にもいえる事だと思います。今現在、家具に限らず我々がアンティークのものを手に入れることが出来る状況というのは、言い換えればその当時の職人と技術、そしてその良さを理解して大切にしてきた使い手が残したものの恩恵にあやかっている状況といえるのではないでしょうか。現在、アメリカや日本と違い、ヨーロッパに古くても良いものが沢山残っているのは、100年も前の産業革命などにより新しいものどんどん作ってどんどん捨てるという過ちを一世紀も前に犯し、その中に時代に逆行するウィリアム・モリスのような存在があったためだと思います。
日本は戦後の高度経済成長とバブルによって、とにかく色々なものが大量に生産されました。家具や住宅に限らず、何から何まで、とにかく”作れば売れる”という時代でした。そして人々も古くなったもの、壊れたものは捨て、新しいものを手に入れました。
しかし、私個人の考えでは、やはり「木」に関するものは大量生産してはいけないのではないかと思います。木は成長し成熟し、伐採され、製品になります。山や森には自然のゆっくりとした時間の流れがあり、一つの自然を壊さずに維持していくためのゆったりとしたひとつのスパンがあるのです。伐採され、商品になるスピードは、人間の一方的なペースでしかありません。しかも日本には、良い物、長く愛されるものを造り大切に使ってもらう、使う側も大切に扱う、というヨーロッパではあたりまえの考え方が無くなってしまいました。勿論、桐のタンスのように古くなったものをまた削り直して長く使うものもありますが、こういった物は今の日本では稀です。ウィリアム・モリスが今から約100年前に運動をおこし、それが今日でも根付いているという点を考えただけでも、日本人の”家具に対する考え方”が100年遅れているのがわかります。
この遅れが100年で済むように、我々も考え方を改めなければいけないのではないでしょうか。



